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02. 完璧主義の妖怪に追いかけられた日々

みなさんこんにちは。今日もお疲れさまです!
ぴぴです。

  • ここまでしよう、と決めていたのに、細かいところが気になりだしてズルズル作業を続けていた

  • 周りの人の期待に応えねば、と表面上、立派なことに取り組みまくる

  • 「いやいや、私なんて」が口癖

  • 部屋の中の物の配置は数cm単位で気になる。常に綺麗な状態。

  • 勉強、運動、奉仕活動、趣味… 全部に全力投球で、力を抜けない

  • 大学選びは、名前込みで。就活の企業選びは、名前込みで。

  • アルバイトは将来的に意味があると思われる業種をしたい(子供の支援、教育支援など)

  • 自分の本当の弱い部分を晒すことができるのは家族だけ

  • 友人に、本当の私の悩みやつらさを相談できない

  • 人から頼まれたら、基本的にイエスマン

  • 自炊せねば。料理ができる人であらねばと思う

  • 文章は指定された文字数ぎりぎりまで埋める(9割以上が当たり前)

  • 服を干すときはハンガーの色を揃える

  • アイドルや美しいものを見て、私も自分を美しく磨かねば、と思う

  • instagramの写真は美しいものばかり

  • スケジュール帳は常にびっちり

毎日の暮らしの中にも「完璧主義」の面がたくさん溢れていまして。
上で示したようなことが、私の完璧主義さが表れている場面だと思います。

別に完璧主義が悪い、と言いたいわけでは毛頭ありません。

ですが、時々強く感じる生きづらさのようなものへの対策としては、これらの完璧主義たちをどうにかしてみよう、というわけです。


今年のある日、

私の日常は突然に崩れました。完璧主義の妖怪が私を襲ってきたのです。

当時、就活に研究にアルバイトに、と毎日のスケジュールは分単位でびっちりでした。ですが、特段そのことを問題に感じたことはありませんでした。なぜなら、予定がいっぱいだ、ということに充実感や生きがいを感じるタイプの人間だからです。

ところが、突然現れた妖怪に私は簡単に倒されてしまったのです。

なぜ生きているのだろう。
今やっていることは、私の将来に繋がるのかな。
なんか、つらい。

これらの感情が私を覆い、表に現れる感情が「無」になりました。家族からはとても心配され、だけど自分ではどうしようもなく、なぜか涙が溢れて止まりませんでした。精神科にもかかり、カウンセリングも受けました。そのなかで、お医者さんを含む、周囲の人から口を揃えて言われたことは、

なんでそんなに「~ねば」や「~べき」で生きているの?

ということでした。私の特徴一つ一つを分析してみると、どれもが何かしら、周りの人の目を気にして、自分は立派であら「ねば」と思うが故の行動だったのです。家族からは、「意外と周りの人って、他の人のことを見てないよ。」と言われ、あ、たしかに、と気づくまでにはもう少し時間がかかったわけですが。

周囲の人に生かされるタイプの人間、自分の意思で生きるタイプの人間、
私はこの2つのタイプの人間がいると考えます。私は、周囲の人に生かされるタイプの人間でした。
「周りの人に喜んでもらえるから」「周りの人に評価されたいから」
こういった感情が私の原動力になっていたのです。そうして次第に完璧主義に囚われていきました。

現在も当時の私と比べて、大きく変わったところはありません。
ですが、

私はわたし
私って素晴らしい人間なんだ。(過度に思い上がることがない程度に…)

と思えるようになると、少し楽になりました。今でもスケジュール帳はびっちりで、完璧人間かのように生きていますが。それでも、何かに行き詰まりそうになったときには、

ま、40%できればいいや。
なんとかなるさ。

と考えるようにしています。そうすると、言霊のように自分についた鉛をストンと落としてくれるんですね。あとは、素直に周りの人に助けを求めれるようになりました。嫌なことがあると、友人に話を聞いてもらったり、(これからはnoteのぴぴ民のみなさんにも色々聞いてもらいたいと思ってます!)自分流のストレス解消法で解決したりできるようになりました。

ま、40%できればいいや。
なんとかなるさ。 

この魔法の二言で、完璧主義の妖怪に太刀打ちできているのですから、これからはもうちょっと守備方法を増やしていきたいな、とも思っています。

(先週撮影した紫陽花の写真を添えて。今年の紫陽花は特別鮮やかで綺麗でしたよね!)

今日もみなさんに小さな幸せが訪れますように。