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ポンヌフの恋人

こういう映画を 私はよく選ぶ。
映画館で観たにせよ、自宅で観たにせよ、とにかく朝まで眠れない映画を。

25歳くらいだったのか、あの頃。
そう思いながら思い出の引き出しを開けてみると、「無謀で正直」な自分に会うことができる。
私が「ポンヌフの恋人」を観て何を感じたか、知ることができる。
きっと、哀しかったはず。
あの青年が口から吐き出す炎を見て、胸が痛かったはず。
そして、自分に似ていると思ったはず…。

追いかける恋が性分のせいか、運命に流されるビノシュより一途な青年に肩入れをして観た記憶がある。ポンヌフ橋の下で暮らす孤独な青年が手に入れた数少ない、あるいは唯一の「愛すること」という名の希望…。
いずれ失明してしまう病で生きてゆく意味さえ失い、何もかも捨てた彼女であろうと彼には関係ない。
そして、家へ戻ればその病気を治すことができ、彼女は元通り画学生として幸せに暮らすことができることを知ってしまっても失いたくないが故に隠し続けてしまう。

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人の心を手に入れることだけが幸せではないと、確かにそう思う。相手のために身を引くという選択をする人もいるだろう。
でも、彼のように「彼女と離れたくない」それだけしか考えない、それ以外は何の意味も持たないような、そんな子どもじみた恋もあってもいい。

自分の心の在り方、そんな風に最近考え始めた。
例えば、もし私が誰かに恋をしたら…。
相手には関係なく自分の心と向き合ってどう折り合いを付けるか悩む。
相手の心を欲しがるから苦しいのだと、もてない女は知っているから。
告白して恋を成就させる・ずっと想い続ける・忘れてしまう…。
自分の心だけなら、何とか自分でコントロールできるような気がする。

実は、私はこの映画のラストをどうしても思い出すことができない。

彼女が事実を知らないまま、青年とすごして失明してしまうのか、それとも青年の元を去り、手術を受けて以前の裕福で幸せな暮らしに戻るのか、それも私にはどうでもいいことのように思える。

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彼女を探すために街中に貼られた大きなポスター。
それを必死に炎で包んでゆく青年。
愛しすぎて激しい。
青年が泣く。哀しくて痛い。
これが、私にとってこの映画のラストシーンなのだから。
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#LesAmantsduPontNeuf
#レオスカラックス
#ジュリエットビノシュ

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