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ゆとり世代。❰幼少期・少年編❱


私は1990年(平成2年)12月11日東北地方の
とある田舎町に6人兄弟の4番目(三男)として生まれました。
長男、次男、長女、私、弟、妹と全て揃った贅沢な真ん中です。

私は【ゆとり世代】と言われる世代です。
そこら辺の先輩方より経験の場数を踏んできた人生なので
よく社会に出てから【ゆとり世代】だからなと最初の頃は
罵ってくる先輩方がいました。
私は器の小さいガキだなくらいしか思わなかったです(笑)
今から私の歩んできた人生を綴っていきたいと思います。
同じ様に苦しんでいる人の元にMARMという奴は
こうやって乗り越えたんだとか逆に失敗した事などを
誰かの役に立てたら良いなと思ってます。


本名は伏せさせて頂きますが祖母が
名付け親でして丈夫で大きな人になって
欲しいと願いを込めてくれたそうです。
上と下の気持ちがわかるので兄弟から
頼られるのは幼い頃から始まっていました。

一番上と一番下で10歳離れていて
10年間で6人はハイスピードなんだと
大きくなるにつれ分かっていき思春期は
恥ずかしさもありました。
8人家族という平成生まれでは家族が
多い方だと思います。
しかし私以外の家族は病弱で両親も
入退院が多く親戚に兄弟バラバラに預けられ
私は祖母が大好きで小学校低学年までは
殆ど祖母の所で育ちました。
やんちゃ坊主な私は叔父と釣りに行っては
目を離した隙に川へ入り
死んだフリをしたり釣った魚を逃がして
怒られたり従兄や親戚の子供達が揃ったら
無敵のやんちゃ坊主でした(笑)

叔父の部屋にあるピンクの本を祖母に持って行き
叔父が怒られてるのを見るのが
好きでしょっちゅうからかってました。
そんな優しい叔父と祖母が大好きで
居心地が良く家族といるよりも楽しかった。
迎えに来ると帰りたくないと言って
駄々をこねて母を困らせていたのは
今もはっきり覚えています。

なぜなら帰ると兄達に扱き使いにされて
楽しくないしご飯も満足する分は
食べたくても食べられないし弟と妹が
お腹いっぱいに食べれるように水を
がぶ飲みして空腹をしのぐ時間が辛かった
あの頃の私は母の困っている
顔を見たくなかったのだと思います。

決して家族が嫌いな訳ではなく共働きで
保育園に通っていて母は毎日、自転車で
前のカゴとおんぶと後ろの席に
子供達3人を乗せて送り迎えをしてくれる
パワフル母ちゃんでした。
私は前のカゴに乗って寒い冬場は母が
冷えないように手袋をした暖かい手で
顔と頭を撫でて息を吹きかけてくれる
母が大好きでした。

母は仕事で迎えに来るのはいつも遅く友達と
保育園の門を乗り越えて隣の公園で
小学生に混じって一緒に遊んでいました。
そんな一部始終を先生に見つかり
怒られ泣いている最中に
母がやってきて内容を先生から聞き何度も
頭を下げて謝ってくれました。
しかし母は私を怒るのではなく
遅くなってごめんねと逆に謝ってくれました。
子供ながらに困らせてしまったなと
罪悪感がありました。

当時、私が18歳まで住んでいた家はボロボロの土壁でお風呂とトイレは
別の建物でプレハブ小屋にある家でした。
トイレは通称”ぼっとんトイレ”で汲み取り業者が来ないと
たちまち大変な事になります。
下水道も通っていないので井戸?タンク?の様な大きな円筒に
台所とお風呂の水が流れてくるんですけど
自分で汲み取り川へ流したりしないといけない家でした。
しかし面倒なので庭に流したりして
異臭が漂う始末なのがしょっちゅうでした(苦笑)

汲み取らないと台所とお風呂の水が流れて行かないので
よく下っ端の子は駆り出されました(笑)

一つ違いの弟と愚痴りながら黙々と小さい頃から働いたなと思います。
雨や雪などは本当、最悪でした。水は流れない家の中は
雨漏りの音色だらけですし穴だらけの家なので雑草が生えてたり
虫やネズミと共に育った環境なので人一倍、免疫力は強いです(笑)

父はセメント会社に当時、勤めていてセダン車タイプの
日産サニーに乗っていたんですが5人乗りですからお察しの通り
定員オーバーです(笑)
またまた下っ端は兄と姉の足元に隠れて疲れて起き上がろうとすると
みんなから怒られます・・・。
全然、楽しくないお出かけ・・・
幼い妹は母の膝の上で抱っこされ私と弟は毎回、足元。

大人になって実際に免許証を取得して思ったのは完全に法律違反ですし
あるTV番組でワゴン車から60人くらい出てきたと
中国人は凄いぶっ飛んでる民族だと
TVでやってますが笑えないですね(苦笑)
やってる事は同じじゃん!と思いましたもん。

他の兄弟は体も弱いと先ほど綴ったんですが
小学生にもなってない幼かった
私は病弱な兄弟達に嫉妬心を持っていました。
どうしても手がかかりますよね。
現在、一児の親なので凄い気持ちが分かるんですけど

当時の私は何で俺だけ可愛がってもらえないの???
誰かが熱を出せば率先して看病したり
疲労困憊で母が倒れた時も電話の存在も知らない当時の私は約5km離れた
祖母の家まで5歳児が助けたい一心で必死に助けを求めて走って
救ったりしたのに何で俺は何でも我慢なの?
お父さんもお母さんも俺の事、好きじゃないのかな?
唯一、褒めてもらえたのは絵が上手い!と言われ
その一言で現在に至るまで私の中では特技になったかなと思います。

一番上の兄と弟は生まれつき障害を持っており
尚更、手がかかり私も周りからお前のアニキ気持ち悪い!とか
弟ヤバくね!とか馬鹿にされたりされました。
家族を馬鹿にされる事が一番嫌いな私は同級生を
物で叩いたり馬乗りになり目を潰そうとしました。
先生や相手の親はカンカンで私の母も顔を見るやいなや
思いっきり往復ビンタされて怒られました。
それまで私は黙秘していましたが子供ながら泣かずに
お兄ちゃんとK(弟)は気持ち悪くもないし何もヤバくない!
優しいお兄ちゃんとK(弟)なんだ!
お前らの目がおかしいんだよ!
だから目を取ってやろうとした!と大人達に必死に訴えました!

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