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【生活保護の暮らし】

プロフィールにも書いてあると思うんですが
私は8歳の時から生活保護を受けて育ちました。
世間の目は厳しいものでした。
授業参観があった帰り道に同級生の親から
MARMくんのお家は可哀想だねと
声をかけられたり何が可哀想なのか?
当時の私には良くわからなかったのですが
成長につれ考えてみるとボロボロの服と
サイズが合わず穴の空いた靴を履いていて
足は血豆だらけで見かねた
担任の先生から靴をプレゼントされて
喜んでいました。
その光景を見ていた同級生達は
先生から靴を貰って特別扱いじゃんと
批判も受けたりもしました。

家族も多く水道、電気、ガス全て
ライフラインが止まり食事も妹と小銭を
出し合ってまんじゅうを一つ買って
半分にして少し多い方を妹にあげて食べたり
普通の暮らしを夢見ていた時代です。

成長と共に更に生きづらくなっていき
怪我をして病院へ行った際も
同級生と鉢合わせしてしまい
生活保護者は代金免除になるので
診察後、支払わないで帰れるのですが
同級生が見ていてアイツ金払わないで
帰っていったと話しはあっという間に
広まり思春期の私にとって苦痛でした。
野球部に所属していて新聞配達の
バイトしながら頑張っていて
地区の選抜メンバーにも
声がかかりましたが生活保護の家庭は
車を所有する事ができないので
遠征する事ができないので辞退しました。
凄い悔しかったです。

高校受験の時も担任の先生と進路について
話していて不安な面はありますか?と問われ
生活保護の子供は高校へ行けますか?
大好きな野球も続けられますかね?と
返答したら担任の先生は泣きながら
大丈夫だよ!こんなに一生懸命な子こそ
求めてるよ!と背中をおしてくれました。

【心の中では本当は野球も強く進学校へ
進みたかったが金銭面を考えると
バイトしながら野球を続けられる道が
無いか中学生ながら必死に模索してました。】

そして地元の高校へ無事合格して
春から新しい道で頑張ろうと思ってましたが
入学費用が国から降りたお金を
親が生活が苦しくて使ってしまい入学できない
危機になりました。絶望的でした。
その状況を知り兄が救ってくれました。
勤めてる会社の社長に頭を下げ
給料前借りして資金を調達してくれて
何とか入学する事ができたんです。

3年間、部活とバイトを懸命にやり遂げ
卒業と同時に寮付きで稼ぎが良いところへ
就職して家族を支えたいと決めていたので
県外への就職を決めました。

ほんの少しの体験談を話してみました。
今、悩める人(特に学生さん)で
私と同じ様に悩んでいる人がいれば
その方々に少しでも伝えたい想いが
届けば良いなと思い綴らせて頂きました。

私が今やりたい事はnoteを始めたばかりで
フォロワーも少ないので増やして
いずれ有料の記事を書き
資金を集められる様になったら
悩める学生さんや子供達の夢を潰させない
手助けになれる様に
活動資金に当てたいと考えているので
より多くの人に私を知って欲しいのです。

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