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庭とは②

庭とは①に続いて、庭の持つ時間スケールについて書いてみたいと思います。

庭は、多くの場合建物に付随しています。よって、建物の取り壊しがあれば取り壊されます。例えば戸建ての庭などは、建物が老朽化すると同時に無くなり、庭の寿命(タイムスケール)=建物の寿命となります。私の近所の宝塚の住宅街では、大邸宅の持主が高齢化してきたためか、家と同時に、庭の高木も低木も全て取り払われ、更地となっているのをよく見ます。その後、土地が分割されています。その後は、新しい小さな戸建てが建てられ、新しい植栽がされるケースが多々見られます。この場合、庭の寿命(時間スケール)は、建物の寿命と同じく、30年から50年といったところでしょう。庭に植えられている木は、柿の木など比較的老木になっているものから、カシノキやマツなど寿命の長い木まで様々。寿命に達してるか否かに関わらず、とにかく持ち主がいなくなれば、庭の樹木は一掃されるというケースが、多く感じます。(そして新築の庭に植えられるのは、なぜか半を押したようにシマトネリコ、マホニアコンフーサ、オタフクナンテン、がかなり多い。。。)

数十年より長い時間スケールの庭では、大学や公園といった場所があります。西宮・宝塚で代表的な大学と言えば、関西学院大学ですが、敷地面積も広く、かなり大きな多種多様な木が丁寧に管理・維持されており、近辺では蛍が見られるほどです。正確な木々の樹齢などは分かりませんが、街の生態系を守るレベルで成熟した自然と言っても過言ではなく、その役割はとても大きいです。

このように、庭と一言に言っても、街を構成するランドスケープとしての庭は、様々な時間規模のものがあります。
最も短い単位の庭は、鉢植えでしょうか。その次は、個人宅の庭、関学のような教育施設や公共施設の庭、神社・寺などの庭やご神木です。最も長い単位になると、これを庭というかはともかく、里山や森林などになるかもしれません。


時間スケールが短いほど、人間中心のデザインになり、時間スケールが長いほど、自然中心で人間が少し手助けするようなデザインになっていきます。そして、時間スケールが長いほど、自然が成熟し、先程例に挙げた関学付近の蛍のように、街の中で生態系を守る役割をします。

そして、庭の時間スケールの長短で、その庭の植生群も変わってきます。例えば、寄植えには一年草が使われることが多いです。多年草や宿根草も、もちろん使われますが、花が終わったあとの地味な時期に他の場所で保存したり、株が大きくなったら植え替えたりといった工夫も必要となるため、一年草が寄せ植えには最も手軽かもしれません。もう少し時間スケールの長い個人の家の庭だとどうでしょう?一年草だけで取り回すと、季節ごとに花を変える必要があり大変です。やはり、多年草や、低木や中低木を組み合わせ、季節の移ろいを感じるパターンが多いでしょう。一方、最も時間スケールの長い神社などは、樹齢数百年といったスケールのマツなど、一般の家の土地では見られないような植栽群となります。

このように、ランドスケープには時間スケールがあり、それと共に植えられる植栽群にも特徴があることが分かります。

時間スケールが短いほど、【かわいい・軽やか】な雰囲気となり、時間スケールが長いほど、【厳か・重厚】な雰囲気となります。普段何気なく見ている景色、好きな庭、寄せ植えはどんなタイムスケールで今を生きていて、どのような印象を私達に与えているでしょうか?今向き合おうとしているランドスケープごとに、そのランドスケープはどのような時間スケールを持つものだろうか、と一考して植栽を考えてみるのもよいかもしれません。そして、時間の長短のミックス、例えば、大きなカツラの根本に映えた一輪のスミレなど、思わず見る人をハッとさせるランドスケープに挑戦も、おもしろいかもしれません。

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