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熱狂と楽しみと普及のはざまに…

野球やバレーボールは「ゴールがない」という意味で特殊な球技(相手のいないところにボールを落とす)と思うが、それ以外はほぼ「ゴールに球を入れる」というシンプルなものである。なぜこんな単純なものに人々は熱狂するのか?
子供の頃は、この単純なルールがわかりやすいし、それだけにプレイするには楽しみがあるのだとおもう。そしてその地域ごとでさかんなスポーツ、それがサッカー・バスケットボール・アイスホッケー・ハンドボール・フットサルだったりするわけだと思う。
ただ普及という意味では「気軽にはじめられる」ものが有利なのかなとは感じる。環境的にサッカーやバスケットボールはプレイできる環境が至るところにあるし、ボール一つでも始められるが、例えばアイスホッケーはもともと寒冷地の自然環境がベースにあり、今は人工のアイスアリーナだが使用料やマテリアルに費用がかかる、という意味では気軽といえないかも知れない。

大人になってスポーツを観る、というのはやはり子どもの頃の環境と関わりが大きい要素なのは間違いない。上のカテゴリーになれば「得点が入り難い様に」ルールも厳しく複雑になっていくが、プレイ経験のある人やルールを知ってる人は、そのあたりも観る楽しみのひとつとなっていくのだろうけど、原点はやはり「ゴールに球を入れる」というシンプルなものだ。そしてそれはTVでも感じられるものかもしれないが、実際に会場に足を運ぶと、それ以外の楽しみ方があふれている。友人や家族同士との交流、いろんなイベント、スタジアムグルメ等の食事の楽しみ、そしてもちろんTVではわからない会場の雰囲気や臨場感、これらが人を引き寄せスポーツが「文化」になっていく。地域の人がスポーツをきっかけに交流が生まれる、これが大事だと思う。

一方でサッカーやアイスホッケーは非常に熱気のあるスポーツで、これがまた人を引き寄せる要因でもある。そして自分の贔屓のチームを応援する事で楽しみが倍増する。こういうファンがそのスポーツを支えている事実があるが、最近は「贔屓が勝利すること」ばかりを優先する事が目立ちすぎる様に感じられる。それがエスカレートすると、人としてやってはいけない「暴言」「誹謗中傷」「器物損壊」「喧嘩や諍い」「暴力行為」「相手に対する威圧」として表面化する。
これは時代背景もある。かつてはコンプライアンス的に問題がなかった事でも(もちろんだからといってやって良いことではない)、現在では問題視される様になったため、コンプライアンスが構築されてきていると思う。観戦のルールも時代とともに変化する。

先日の某サッカーのゲームで、試合途中に右側頭部に至近距離からボールを受けて倒れた選手がいた。おそらく脳震盪だと思うけど、無理して立ち上がったら倒れてしまい、結局担架で搬送。 ところがそれを見ていたある観客(相手のサポーターという説もある)が「仮病使って時間稼ぎすんな!」って言い放った。 この言葉、あまりにも当該選手に酷い言葉で「人として」問題行動であり、不快に感じた観客は両チームに関係なく多数いた様子だ。実際自分もそれで嫌になり、雨も降っていたので前半で帰路についてしまったのですが…
もしその選手が「身内のもの」であったらどうなのか?そんな声を浴びせた観客を許せるだろうか? 熱狂は大事だが、酒と同じで「飲まれて」はいけないのだ。

サッカークラブやリーグが存続していくには、やはり観客増が大きな課題だ。環境面で言えば、サッカーの場合は基本雨天でもゲームは開催されるので、スタンドでの傘差しが禁止されている状況では、ある程度Jリーグの言う「屋根の設置」は必要だろう。そしてチームは熱狂的なサポーターのものだけでは存続はできない。一般のファンを1回誘ってきてくれたとしても、サポーターだからこそ、会場に次に足を運んでくれるような雰囲気づくりをお願いしたい。そこには人として相手への思いやりが大切で、(必要以上の)大声も、ヤジも、喧嘩腰の態度もいらない。それがそのチームへのサポートだと思いこんでいる輩は、チームに対してマイナスな存在でしかない。

チームは「俺達のもの」ではない。「われわれみんなのもの」である事。
この精神がなければ、少子化の社会情勢ではスポーツ文化は停滞したままのものになるだろう。

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