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人はいつから頑固になるのか

僕の母は今でもガラケーを使っている。
スマホにすればと何度も言っているが、なかなか本人はうんとは言わない。
興味がないわけではなさそうだ。
デイサービスなどで一緒になる人の中にも、スマホを使ってる方はいるらしい。
そんな人から、いろいろ話は聞いているのだろう。
あんなことができるのか、こんなこともできるのかと時々尋ねてはくる。
それでも、スマホにするとは言わない。
何故だろうか。

自分には使いこなせないと思っているのか。
しかし、あの人にも使えているのだから自分にもとは考えないのだろうか。
使い方を間違えては大変だと思っているのか。
しかし、個人がスマホの使い方を間違えたくらいで世界がひっくり返るようなことはないとは、割り切れないのだろうか。

つまるところ、頑固なのだ。
ここでの頑固とは、信念を曲げない頑固オヤジのことではなく、新しいものに対する拒否反応のこと。

もちろん最近は高齢者の方でもスマホくらいはどんどん使いこなしておられる。
ウチの母のようなのが今では少数派なのかもしれない。

それでも、歳とともに頑固になり、新しいものに対して拒否反応を示す、あるいは、そこまでではなくても距離を置く、そんな傾向が見られるのは間違いない。
もちろん、若い人の中にもこんな人はいる。
ただ、高齢者の方に目立つのは事実だ。

さて、ここでタイトルの「人はいつから頑固になるのだろう」

例えば僕の母が10代、20代を過ごした1950年、60年代。
50年代は神武景気、岩戸景気など、おおむね景気は良かったのだろう。
テレビの放送が開始されたのもこの頃。
60年代になると高度成長期。
若者も動きも活発になる。
学生だけでなく市民まで巻き込んだ安保闘争。
デモ。
学生運動。
ビートルズ。
アイビールック。
ヒッピーファッション。
歌声喫茶。
グループサウンズ。
反戦フォーク。
項目だけ書き出すときりがないが、何となく今の若者よりももっと元気に、古い価値観を否定していたような気がする。
みんながみんな、ヒッピールックをしたわけではないだろうが、新しいものを取り入れようとする気運は共有されていたのではないだろうか。
今の80代、70代の人の若い頃は、そんな時代だった筈だ。
テレビ、ラジオはもちろん、車も普及した。
新しい製品もどんどん発売され、ライフスタイルも新しくなった。
そんな青春時代を過ごした人たちが、いつから新しいものを遠ざけるようになったのだろうか。

僕は今60代だけれども、まだまだ新しいものに興味はある。
AIにも、VRにも、どんどん触れてみたい。
音楽だって、新しい人の曲を否定はしないし、むしろもっと聴きたい。
だんだん何言ってるかわからないことは増えてきたけれども。
ファッションはさすがに難しいけれども、笑われない程度にはついて行きたい。
もちろん、昭和の価値観にしがみつくつもりなど毛頭ない。
「ふてほど」は見てたにしても。

こんな僕でも、あと10年、20年すると、
「そんなんめんどくさい、もうええわ」
と、新しいものを拒否するようになるのだろうか。
どこかで同じような歳の人と、古い演歌でも歌っているのだろうか。
「サブちゃんはええなあ」

人はどうしようもなく変わって行くのだろうか。
もしそうならば、僕は自分の変わって行く様をしっかりと把握して、できればこのnoteにでも書き残しておきたいものだ。

もし僕の記事を読んで、そんな傾向が見られれば、遠慮なく教えていただきたい。
「マー君さん、最近、頭の中固くなってきてますよ」と。

とは言え、僕は老害のことを話しているのではない。
そもそも老害なんて言う人は、それが既に世の中に害を撒き散らしていると自覚するべきだ。
最近は「若者にも老害の傾向が」などと言う記事もある。
つまりは、害と言うなら人間みんな害がある、あるいは害になり得ると言うことだ。
ことさら老害なんて名付ける必要もない。
「くだらん!」
と、最後は頑固オヤジらしく。

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