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死ぬ時は死ぬと思って死にたい

あなたはどんな死に方をしたいだろうか。

よく言われるのは、PPK、つまりピンピンコロリ。
死ぬ間際まで、病気もなく、寝たきりになることもなく、ある瞬間突然パタっと倒れて亡くなる。
確かに苦しむことなく死ねる。

次によく聞くのが、眠りながら死にたい。
眠っている間に、そのまま苦しむこともなく自分で死を意識することなく亡くなる。
眠るように亡くなったとよく言われるが、まさにそれだろう。

どちらにも共通しているのは、死と、そこに至るまでの苦しみに対する恐怖だと思う。
自分の死を知りたくない。
死を意識することなく、苦しむことなく死にたい。

確かに、その気持ちはよくわかる。
僕も死は怖い。
若い頃は、歳をとれば死に対する恐怖は薄らいでいくのだろうと思っていた。
だから、今は怖くても、その時になれば大丈夫だろうとたかを括っていた。
しかし、この歳になっても死は謎で、いまだに恐怖の対象だ。
今でも、自分の死のことを考えると怖くなって、「お母ちゃーん」と叫びたくなる。
もしかすると僕だけなのかもしれないけれども。
同じ歳の他の方は、皆さん死を受け入れられているのだろうか。

とにかく僕は死ぬのが怖い。
だから、自分の気のつかない間に死んでいたいという、その気持ちはよくわかる。
理想は、「朝目覚めたら、死んでいた」
多分、目覚めることはないと思うけれど。

でも、一方で怖いもの見たさもある。
別に死後の世界も、天国も地獄も、生まれ変わりも信じてはいない。
信じてはいないけれども、その瞬間は体験してみたい。
生から死へと変わるその瞬間。

子供の頃に、一日が切り替わる瞬間とか、年が変わる瞬間に興味がなかっただろうか。
そこには、どんなメカニズムが働いているのだろうと、興味津々で夜更かしをした。
ところが、結果的には何もなく、気がつけば日付が変わり、年が明けていた。

しかし、これは24時間とか一年の話ではない。
何十年と生き抜いてきた人生の最後なのだ。
いいことよりも辛いことが多かった人生なのだ。
その結末は、何かあるに違いない。

いや、何もなくても、
「ああ、俺は今から死ぬんだ」
と自覚してその時を迎えたい。
ここまで生きてきた人生が、知らない間に終わっていたなんて、最終回を見逃したドラマみたいだ。
しっかりと自分の最後くらいは、恐怖に打ち勝ちながら見届けたい。

そして、その状況をnoteで報告すれば、創作大賞間違いなしなんだけど。
それは無理やなあ。

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