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結婚してよかった、僕の髪の毛はもう伸びないけれど

今日は結婚記念日。
これから34年目に突入する。
平成元年に結婚したので、わかりやすい。
34と言えば、400勝投手の金田正一、巨人の永久欠番。
最近では、中日の山本昌。
もちろん、僕とは何の関係もない。

当時は、今と違い、結婚式、披露宴をするのが普通だった。
僕たちも、会社の上司や同僚、学生時代の友人を招いて、そこそこ盛大に行った。
仲人は、会社の役員にお願いをした。
何度も、会場の担当者と打ち合わせをして臨んだ披露宴だが、内容はほとんど覚えていない。
とにかく、係の人の言われるままに、
「立ってください」
「おじぎをしてください」
「座ってください」
「では、退出します」
もう、立ったり座ったり、着替えたり。
覚えているのは、大学時代の友人が校歌を歌い出して、僕も強引に駆り出されて、肩を組んで歌ったこと。
どのタイミングかで流れた曲が、ベルリンの「愛は吐息のように」、言わずと知れた、あの「トップガン」一作目の挿入歌だったこと。
本当は「スタンド・バイ・ミー」を使いたかったけれども、先に結婚した妹に使われたので諦めた。

慌ただしい中で、涙も流れなかった。
妹の結婚式では号泣してしまったので、
「あんた、絶対に泣くで」
と親からは言われて、多分本人たちもそれを楽しみにしていたのだろうけど。

結婚式をやって、よかったのかどうか。
今の人たちのように、あのお金をもっと有効に使うこともできたのかもしれない。
しかし、当時は、やらない選択肢はなかったと思う。
結納や、荷出しもそうだ。
最近ではあまり聞かなくなったが。
特に、紅白の飾りをした荷出しの車はまったくと言っていいほど見かけなくなった。
昔は、荷出しの車を見ると、ああ今日は日がいいのだなと思ったりしたものだ。

結婚式の映像も残っているが、VHSのために、今では再生できない。
DVDに焼き直してもらわないと。
それに、あの背の高いキャンドル。
メモリが入っていて、〇婚式と書かれている、あのキャンドルだ。
多分、一年ごとに火をつけていくという体のものだが、実際にやっている人はどれくらいいるのだろうか。
新婚の頃は、窓辺に飾ったりもしていたが、今では、何処へやら。

これまで、特に○婚式などと意識をしたことはなかった。
有名な25年目の銀婚式も、いつの間にか通過してしまった。
再来年は、珊瑚婚式らしい。
これも、気がつくと終わってしまっているかもしれない。
記念日に、ジュエリーを贈るような余裕のある生活でもなかった。
それに、ヘタに贈ると、
「あんた、こんなお金、どうしたん?」
と、へそくりがバレてしまう。
せいぜい、近くのファミレスで、いつもより少し高いものを注文するくらいだ。
今年はもう、それすらなく、僕の大好物のシュークリームでささやかにお互いをねぎらった。

在任8年で国葬なら、夫在任、妻在任、それぞれ34年目の僕たちにも何かもらえないかな。
もちろん、国葬なんかしてほしくない。
お得意のその場しのぎのわずかな手当だけで結構だ。
でも、これは案外いい考えではないだろうか。
結婚30年あたりから、10年ごとに国からお祝い金がもらえるというのは。
結婚が全てではないが、若者に結婚をすすめたいのなら、結婚すれば祝福されるよ、結婚ていいよという姿を見せていくべきだろう。
もっと言えば、どんな形であれ、性がどうであれ、年齢がどうであれ、人が愛し合うっていいものだよっていう姿を見せるのが手っ取り早い。
一時的なお金で解決するものではない。
お金は欲しいけど。

今年の年末、大掃除にはあのキャンドルを探してみよう。
見つかれば、窓際に飾ってやろうか。
多分、妻は反対するだろう。
その前に、すでに処分されているかもしれないけれど。

「僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら〜♪」
僕の髪の毛は、もう肩まで伸びることはない。
あの時、結婚しておいてよかった。
いや、結婚してもらってよかった。

ちなみに、こんな僕も大学生の頃は、高校までの丸坊主の反動か、肩まで届きそうなロン毛だったのだ。
お見せできないのが残念だけれど。

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