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映画「パレード」を見て考えたこと〜最後にいいこと言います

邦画はほとんど見ないが、Netflixで配信中の「パレード」を見た。

ここは、何かを思い残したまま亡くなった人の集まる場所。
シングルマザーで新聞記者の美奈子。
元映画プロデューサーのマイケル。
小説家を目指していたアキラ。
元ヤクザの勝利。
元スナックのママのかおり。
元銀行マンの田中。
少し遅れて、手首を切った女子高生のナナも加わる。
ここで思いを果たせた人は次の世界へと旅っていく。

さて、僕は死後の世界などないと思っている。
あると言う人を否定はしない。
あったらいいねと思うだけだ。
だから、僕の人生に僕の死はない。
限りなく死という状態に近づいてはいくが、その瞬間のほんの少し前に僕の世界は終わるのだ。
そして、それと同時に僕は他者の前に一個の死体として現れる。
それは、妻の前かもしれない。
娘の前かもしれない。
あるいは、未だ出会えていない殺人者の前かもしれない。
僕の死は、僕のものではなく、その誰かのものなのだ。
それをどうするかは、その人の自由だ。
実際には、荼毘に付し遺骨は京都の西大谷に納めてもらうことになると思うが。
場合によっては、その前に警察を呼ぶことになるかもしれない。
最悪は、どこかに埋められて、地球と運命を共にすることもあるだろう。
でも、それは僕の知ったこっちゃない。
僕の死が入りこんだ世界の人のやることだ。

思い残しがあろうと、死の直前に僕の世界は終わってしまう。
もちろん、日々を悔いのないように生きなさいということは、間違いではない。
思い残しのない人生は、誰もが望むだろう。
ただし、いつ自分の世界が終わるかはわからない。
悔いのないように生きようと思った次の瞬間に、誰かの目の前に横たわっているかもしれない。
死はいつも誰かのものだ。
その死がもたらす、悲しみも後悔も、生き残った人のものだ。

だから、教訓はこうだ。
いつ会えなくなっても後悔しないように、その人に接しなさい。
それ以外にあるだろうか。
(ここです。いいこと言ったでしょう)

キャストは、美奈子を長澤まさみ、マイケルをリリーフランキー、アキラを坂口健太郎、勝利を横浜流星、かおりを寺島しのぶ、田中を田中哲司、ナナを森七菜という豪華布陣。
Netflixで配信中。
僕は邦画には詳しくないのでわからなかったが、他作品、関係者へのオマージュもいろいろ散りばめられているらしい。

さて、明日はそんなことを考える日になるかもしれない。


※タイトル画像は「パレード」予告編より

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