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涙のわけは甲子園が教えてくれた

夏の甲子園大会も、全国で出場校が決まり始めている。
今年は3年ぶりに観客無制限での開催とのこと。
僕もチケットを入手した。
今から楽しみで毎晩寝る前に眺めている。

そんななか、夏木凛さんの記事を読んで、火がついてしまった。
今日は、高校野球の記事を書かなくてはと。

高校野球の名勝負は数多くある。

古いところでは、1933年、昭和8年の準決勝、中京商業( 現・中京大学附属中京高 )対明石中学( 現・兵庫県立明石高 ) の延長25回。
結果は、中京商業のサヨナラ勝ちだが、得点は1対0。
両チーム、投手は交代せずに1人で投げ切ったというから、すごい投手戦だ。

ただ、これは古すぎるとして、僕が見た試合に限っても語りだすとキリがない。
1979年、昭和54年の箕島対星稜。土壇場でのシーソーゲーム。
1996年、平成8年の松山対熊本工。奇跡のバックホーム。
1998年、平成10年の横浜対PL学園。あの松坂が投げ切った17回。
2006年、平成18年の早実対駒大苫小牧。ハンカチ王子とマー君( 僕じゃないです)の投げ合い。
等々…

終わらないので、このあたりにしておく。
1984年、昭和59年の取手二高対PL学園の決勝も忘れられない。
また、松井秀喜の5打席敬遠で盛り上がった、明徳義塾対星稜も忘れられない試合だ。
さらに…
ほらほら、終わらない。

しかし、僕が甲子園の名勝負としてどの試合を一位に上げるかと言われれば、迷わずこの試合だ。

1969年、昭和44年の松山商業対三沢高校の決勝戦。

伝統の松山商業に挑む、青森の無名の三沢高校。
優勝旗を東北の地に初めて持って帰れるか。
三沢高校の太田幸司は大会屈指の好投手。
また、ハーフとしての端正な顔立ちから、元祖甲子園のアイドルとなった。

試合は、松山商業の専攻、三沢高校の後攻ではじまった。
9回を終わっても決着がつかず、0対0のまま延長戦に。
延長に入ってからは、三沢高校が押し気味に試合を進める。
そして、迎えた15回の裏。
三沢高校は、ヒットとエラー、送りバントの後の敬遠で一死満塁の絶好のチャンス。
後に、東北勢が最も優勝に近づいた瞬間と言われた。

一方、松山商業は絶体絶命のピンチ。
エース井上投手は、スクイズを警戒して、1球2球とボール。
さらに3球目もボール。
マウンド上で何度もグラブにボールを叩きつける井上投手。
絶妙のコントロールを誇るメガネのエースは、落ち着いて真ん中に。
そして、5球目。
低めの緩い球。押し出しサヨナラか。
アナウンサーも一瞬「ボー( ル) 」と言いかける。
息を呑む大観衆。
しかし、郷司球審の右手が上がりストライク。

15回の裏、一死満塁、カウントはツースリー。
運命の6球目、フルスイングでとらえた鋭い打球は井上投手の左へ。
センターへ抜けるか。
しかし、横っ飛びの井上投手のグラブに弾かれる。
勢いを失った打球はショートの前に転がっていく。
それを見た三塁走者は猛然とホームへ。
ショートがダッシュする。
球を拾い上げると矢の様なバックホーム。
頭から滑り込む走者。
立ち上る砂煙の中、郷司球審の拳が突き出された。
アウト!

ピンチは続く。
続く打者のカウントもツースリーとなった。
しかも二死満塁。
井上投手の投球とともに全走者が一斉にスタート。
打球は快音を残して、右中間に。
しかし、センターがランニングキャッチ。

テレビでは、アナウンサーが、
「ベンチに戻った松山商業ナインが泣いていたそうです」
とレボートしていた。
この時、僕は小学校の3年生だったか。
人が泣くのは、悲しい時か、せいぜい嬉しい時だと思っていた。
だから、松山商業のナインが、試合の途中でなぜ泣いているのかが理解できなかった。

勝っても負けてもいないのに、なんで泣いてるんや。
まだ試合中やで、家に帰りたいんか。

僕がその時の涙のわけを理解できるのは、もう少し後のことだ。
悲しくなくても、嬉しくなくても流される涙。
そんな涙を初めて目にした瞬間だった。

その後、松山商業は、16回裏にも一死満塁のピンチを迎える。
しかし、冷静にスリーバントスクイズを見破り切り抜ける。
実はこの時、タッチの際に三塁手が落球したのを塁審が見落とすというハプニングがあった。
いっさい抗議しなかった三沢高校も潔かった。
試合は、18回で決着がつかずに、史上初の決勝引き分け再試合となった。
試合時間、4時間16分。
太田幸司投手、262球。
井上明投手、232球。
試合後、大会本部には、
「このまま引き分けではダメなのか」
「優勝旗を2本作れ」
そんな電話が殺到した。

翌日の再試合では、松山商業が三沢高校を4対2で破り優勝した。
試合後、他の選手がベンチ前の土を集めるなか、太田幸司はひとりマウンドの土を集めていた。

三沢高校の太田幸司投手はその後、近鉄バッファローズに進み、引退後は解説者に。

松山商業の井上投手は、明治大学で野球部の主将に。
卒業後は、朝日新聞の記者として活躍して、現在は定年退職されているらしい。
その記者時代に、先輩記者とこの試合について語られている記事があった。
「あの時、マウンドで何度も汗を拭っていたね」
そう尋ねる先輩に対して、こう答えられていた。
「あれは汗じゃなかったんですよ。一球ごとに涙が流れて仕方なかったんです」

たかが高校生の野球。
しかし、そこから学ぶものもたくさんある。

僕は、高校生には何も背負うことなく、笑顔で野球を楽しんで欲しいと思っている。
しかし、こらえきれない涙を否定するものではない。
笑顔で球場を去った夜、人知れず流される涙にも思いを馳せたい。

開幕まで、あと2週間。
無事に開幕されることを祈っている。

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