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ゴジラで涙ぐむ〜「ゴジラ−1.0」

僕は以前から、ゴジラの餌願望がある、ある意味変態ジジイだ。
下のような、ショートショートも書いた。

どうせ食べられるのなら、美味しく食べてもらいたい。
ししゃものように頭からがぶりとやってもらって、足の先まで味わいつくして欲しい。
そのためには、この体を健康に保っておかなくてはならない。
そう思って、日々気を配っている。

さて、そのゴジラが今年も日本に襲いかかった。
舞台は、終戦間もない1946年から47年。
ようやく戦争の痛手から立ち直ろうとしていた人々に追い打ちをかけるように、ゴジラが東京の町を破壊する。
このゴジラの迫力は、恐らく「シン・ゴジラ」を超えている。

ゴジラに打ちのめされていく人々。
その中には、まだ自分の中の戦争を終わらせられていない人もいた。
元特攻隊員の敷島(神木隆之介)もそのひとり。
そして、敷島のせいで仲間を失った、元整備兵(青木崇高)の橘も。
やがて、彼らは、民間主導のプロジェクトでゴジラに立ち向かっていく。
ここに、国、政府に対する信頼はまったくない。
大本営発表を繰り返し国民を欺いてきた政府。
しかし、それ以降もこの国の政府が信頼に足ることなどあっただろうか。

冒頭で姿を現すが、その後は人々の生活を追い、なかなかゴジラが出現しない作りもいい。
ここを冗長とする意見もあるだろうが、僕はそうは思わなかった。
待たせて待たせて、そして、ついに。
年甲斐もなく、途中何度か涙ぐんでしまった。
なんとも安物の涙ではあるけれど。

ゴジラとは何か。
これを反戦、反核映画とする見方もある。
今回のゴジラも、アメリカの核実験の結果、放射能を帯び巨大化する。
そして、ゴジラに破壊された銀座には黒い雨が降り注ぐ。
元技術士官の野田(吉岡秀隆)を中心に展開される作戦名は「わだつみ作戦」だ。
わだつみと言えば、どうしても「きけわだつみのこえ」を連想してしまうのは僕だけではないだろう。

ゴジラも、人間の欲望の犠牲の元に生み出された怪物には違いない。
そう言う意味では、今人里に現れて駆除されている野生の熊も同じ立場だ。
熊の駆除に対してクレームを入れている人たちは、ゴジラへの攻撃にもクレームを入れるのだろうか。
どちらも可哀想ではある。
しかし、そう思うことと、クレームを入れることとはまったく別の話だ。

犠牲者は人間なのかゴジラなのか。
加害者はゴジラなのか人間なのか。
一度生み出されたゴジラが消えることはない。
過ちは繰り返される。
この現実に、「生きて抗え」

出演は他にも、敷島と同じ屋根の下に、他人の赤ん坊を抱えて暮らすことになる大石典子に浜辺美波。
この他人同士の同居も象徴的ではある。
他に、佐々木蔵之介、安藤さくら、山田裕貴らも。
あと、エキストラで橋爪功も一瞬映る。
探してみられては。

とにかく、ゴジラで涙ぐむとは思わなかった。
僕と同じように、そんなに高級でない涙をお持ちの方は、ご注意を。

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