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成人の日と大阪のおばちゃん

僕は成人式に出席していない。
下宿先に住所を移していなかったので、出席するためにはわざわざ帰省しなくてはならかった。
しかし、そればかりではない。
特にあらためて会いたい友人もいなかった。
友人だと思っている奴らとは、普段の帰省の折に会っている。
それと、自分の成長を国の制度で祝ってほしくもなかった。
俺の人生に介入してくるんじゃない。

当時は、制度と名のつくものには片っ端から反発する、こんな若者もまだ残っていた。
もちろん、晴れ着や羽織袴で晴々しく成人式に出席する者もいた。
むしろ、そちらが普通だった。
モテない奴らが、制度に反発するなどという口実を隠れ蓑にしていただけかもしれないが。

成人式がかつての元服の儀が由来であるとする1月15日から、ハッピーマンデーの名のもとに1月第2月曜日に移って20年以上になる。
しかし、それなら何故1月にこだわったのか。
地元を離れている人は、正月に帰省して、またすぐに帰省しなくてはならない。 
10月あたりにしておけば、お盆と正月の間に帰省する理由にもなったのに。

成人年齢が昨年には18歳に引き下げられた。
しかし、成人式は20歳を対象にする地域が多いらしい。
名称も二十歳の集いなどと、もはや成人年齢でもない二十歳を何故そんなにもてはやさなくてはならないのか。
わけのわからない集会になっている。
それでも税金を使って集めたいのなら、いっそ年齢に関係なく市民の集いにしてしまえばいいのに。

NHKの青年の主張コンクールもいつの間にか終わってしまった。
何かを主張したい若者の減少が原因のひとつとも聞く。

今朝も、華やかな衣装の若者を何人も見た。
このような式典は、世界的に見ても珍しいらしい。
世界の若者は特に祝福されることもなく大人になっている。
大人になった証としての儀式を行う国はあるらしいが、若者が着飾って集う催しはどうやら日本特有のものなのだ。
大阪の豹柄の派手なおばちゃんをみんなは笑うが、世界から見ると同じようなものなのかもしれない。
知らんけど。

18歳であれ、19歳であれ、20歳であれ、斜に構える必要はないが、そろそろ、成長は年齢に比例しなくなることは理解して欲しい。
そして、それは国であれ、誰であれ、他人が決めるものでもないことを。

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