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読書記録#83 人新世の「資本論」



私は今、「資本主義」と呼ばれる現代日本社会において私は弱者側に属する。

物凄く生きづらさを感じている。

なぜこんなにも生きづらいのかと考えた時に、原因の一つとして今我々が生きているこの社会の構造にあるのではないかと、ふと思った。


そんなことをきっかけとして、私の仮説が正しいものなのかどうかを確かめたくなった。

そこで、ある3冊の本を購入した。


現代社会の闇に突っ込むシリーズ3連発。
今回はその第一弾。

この3連発を経て、何か少しでもライフハックにおけるヒントを得ることができればなと。


●読書メモ

犠牲が増えるほど、大企業の収益は上がる。これが資本の理論である。
資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく、地球環境全体なのだ。資源、エネルギー、食料も先進国との「不等価交換」によってグローバル・サウスから奪われていくのである。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる掠奪の対象とみなす。このことが本書の基本的主張のひとつです。
環境危機という言葉を知って、私たちが免罪符的に行うことは、エコバッグを「買う」ことだろうか。だが、そのエコバッグすらも、新しいデザインのものが次々と発売される。宣伝に刺激され、また次のものを買ってしまう。そして、免罪符がもたらす満足感のせいで、そのエコバッグが作られる際の遠くの地での人間や自然への暴力には、ますます無関心になる。資本が謀るグリーン・ウォッシュに取り込まれるとはそういうことだ。
資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。解決策の代わりに資本主義が提供してきたのは、収奪と負荷の外部化・転嫁ばかりなのだ。
実際、廉価な労働力のフロンティアが喪失した結果、利潤率は低下し、先進国内部での労働者の搾取は激化している。同時に、環境的負荷のグローバル・サウスへの転嫁や外部化も限界を迎えつつあり、その矛盾が先進国にも現れるようになっている。労働条件の悪化は、先進国に住む私たちも日々、実感している。
グリーン・ニューディールのような政策による國土改造の大型投資は不可欠である。當然、太陽光発電や電気自動車にどんどん切り替えていく必要がある。公共交通機関の充実と無償化、自転車道の整備、太陽光パネルのついた公営住宅の建設も大膽な財政出動によって進めていかねばならない。
たが、それだけでは足りない。逆説的に聞こえるかもしれないが、グリーン・ニューディールが本當に目指すべきは、破局につながる経済成長ではなく、経済のスケールダウンとスローダウンなのである。

→資本蓄積、利潤、経済成長ファーストなのが諸悪の根源。競争が生まれ、勝つ者と負ける者に分かれる。利益を得るのには資本をできるだけ多く持つことで有利に働く社会構造になっているため、富める者が独占していき、資本は適切に分配されなくなる。持たざる者は肉体的精神的に追い詰められる日々を過ごす。こうして敵対構造が出来上がる。あらゆる場面で、他人を攻撃する者が次々と現れる。社会がギクシャクする。環境破壊も進む。。

経済成長の追求にこれだけの不合理が伴うのに、それでも脱成長論が不人気なのには、日本特有の事情もある。高度経済成長の恩恵を受けたあとは逃げ切るだけの団魂世代の人々が、脱成長という「綺麗事」を吹聴しているというイメージが強いのだ。若い頃に経済成長の果実を享受しておきながら、一線を退いたそのときから「このままゆっくり日本経済は衰退していけばいい」と言い始めたというわけである。そのことが、就職氷河期世代からの強い反発を生んでいる。
まず基本的な確認として、筆者が考える定常型社会という社会の姿において「市場経済」あるいは「私利の追求」ということがすべて否定されるものではない。言い換えれば、定常型社会=社会主義(共産主義)経済システムということではないし、(中略)それは従来型の「資本主義vs社会主義」、「自由vs平等」といった二項対立をすでに超えている社会の理念である。
資本とは、価値を絶えず増やしていく終わりなき運動である。繰り返し、繰り返し投資して、財やサービスの生産によって新たな価値を生み出し、利益を上げ、さらに拡大していく。目標実現のためには、世界中の労働力や資源を利用して、新しい市場を開拓し、わずかなビジネスチャンスも見逃してはならない。
ところが、資本主義が世界中を覆った結果、人々の生活や自然環境が破壊されてしまった。だから、脱成長な、この行き過ぎた資本の運動にブレーキをかけ、減速しようとするのである。
世の中には商品で溢れている。けれども、貨幣がなければ、私たちは何も買うことができない。貨幣があればなんでも手に入れられるが、貨幣を手に入れる方法は非常に限られており、常に欠乏状態である。だから、生きるために、私達は貨幣を必死で追い求める。


・市民営化

〈コモン〉は、電力や水だけではない。生産手段そのものも〈コモン〉にしていく必要がある。資本家や株主なしに、労働者たちが共同出資して、生産手段を共同所有し、共同管理する組織が、「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」である。
「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。
使用価値経済への転換によって、生産のダイナミクスは大きく変わる。金儲けの、意味のない仕事を大幅に減らすからである。そして、社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を意識的に分配するようになっていく。
脱成長コミュニズムが目指す生産過程の民主化は、社会全体の生産も変えていく。例えば新技術が特許によって守られて、製薬会社やGAFAのような一部の企業にだけ莫大な利潤をもたらす知的財産権やプラットフォームの独占は禁止される。むしろ、知識や情報は社会全体の〈コモン〉であるべきなのだ。
既存の経済モデルは、恒常的な成長と利潤獲得のための終わりなき競争に基づくので、自然資源の消費は増え続けていく。こうして、地球の生態学的バランスを危機に陥れているこの経済システムは、同時に、経済格差も著しく拡大させている。豊かな国の、とりわけ最富裕層による過剰な消費に、グローバルな環境危機、特に気候危機のほとんどの原因があるのは、間違いない。


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