見出し画像

【実体験小説】真夏の訃報  その1

若かりし頃、人生初めてでききたまともな彼氏があっさり事故死したの時に起きた、今考えてもほんと意味不明な出来事達について、
(文章美味いと褒められたので)調子に乗って小説・エッセイ風に書いてみます。決して不幸自慢とかじゃなくて、ちょっと笑っていただけるように綴ります。途中から「朝井リョウ」風に転調予定。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間、「混乱してる~」と発するときは、そういう自分を俯瞰できるわずかばかりの余裕があるものだ。
しかしこの時期の私は120%混乱していた。
その時、「私、混乱してる」と発する余裕が1ミリもない、全脳みそで混乱していた。
「私、大丈夫ですから」と発しながら、ずっと大混乱していた、あの頃の私は。

<ある夏の訃報>

2001年9月 私は慶良間諸島の一つ座間味島に居た。
会社の後輩とのダイビング旅行。私たちは数年前から沖縄屈指の美しい海に出会い、どっぷりとその青にハマっていた。

まだ明るい沖縄の夕刻、3本目のダイビングを終え、
桟橋での打ち上げを前に一旦部屋に戻った私の目に入ったのは
着信を受け過ぎてすっかりバッテリーの減った携帯電話だった。
見たこともない受信暦数。
振りかえるともうこの時すでに嫌な予感はしていたのかもしれない。

一番着信の多かった会社の先輩に折り返す。

「いっちー、落ち着いて聞いてね」
 それに続けて、先輩は彼の事故死を告げた。

訃報を知らせる時、人間はほぼ100%このセリフを言うんだな、とぼんやり考えていた。

事故は、その日に日付が変わった深夜に起きていた。
沖縄に惚れ込みすぎてバイクの整備士から、沖縄居酒屋の雇われ店長に転身したばかりの彼は、店を閉めバイクで帰宅途中、スピードの出る大きな国道で後続の4WDにひかれたらしい。

その日は内地もとても暑い日だったうえに、損傷が激しく、長くは置けないということで、検視も済んだ彼の体は明日、実家の山陰のとある町へ向け空路出発し、着後すぐ荼毘に付されると続けた。

私が携帯を部屋に置きっぱなしでのんきにダイビングをしていた一日で色々なことが起きていたようだ。
ご両親も上京し、故郷へ飛ぶ前のお別れの挨拶の為に彼の友人・仲間が続々と集まり、納棺し一緒に空にかえる彼ゆかりの品も選ばれている事などを、先輩は携帯メールで教えてくれた。

海を隔てたあまりに遠い場所の出来事は、薄モヤの向こうのことのようで
堪えずとも涙は流れてこなかった。
ただ、ここは小さな島で、那覇とを結ぶ1日2往復の船はもう出た後の事だった。泣こうが喚こうがうが今夜この島から出ることは叶わないのは、ぼんやりとした頭でもすぐに分かった。

どのように同行の後輩たちに告げたか記憶にない。

一番かわいそうだったのは、この旅に同行していた後輩二人だったのかもしれない。
ダイビングを終えて爽やかな慶良間deラストナイトになる予定が、
「大丈夫だよ」と薄ら笑いを浮かべながらも、実は狂ってるかもしれない人間と一晩過ごし、翌日ひっぱってでも東京に戻らなければならないのだ。
予定されていた最終日の那覇・国際通り散策は吹っ飛んだと言ってよい。

事故の知らせの後は、島内のコンビニに行くにも桟橋に行くにも、どちらか一人が私についてきていた。
後で聞いたのだが、私に事故を知らせた先輩から
「一刻たりとも市川から目を離すな!」と直接指令が出ていたとのこと。
 座間味はどこに居ても少し歩けば海。
入水し放題なわけで、先輩の懸念ももっともではあった。

そんな先輩後輩の気遣いをよそに、私は他の事を考えていた。
ええい、もう言おう。
私は狂っていた。

「さすがに今回は霊が見えると思うので、寝ずに待ってようと思う」

食事を終え、狭いダイビング宿の床に車座で話しているときに
突如私の口から発せられた言葉だ。

その年あと3か月を残して
「一体どんな顔すればいいんや オブ・ザ・イヤー」
受賞間違いなくなった二人の顔が未だに焼き付いている。。

誤解の無いように(読んでも誤解は解けないと思うが)書いておく。

私は生まれてこの方一度も霊的な体験はない。そして無宗教で無神論者だ。
死後の世界もあって欲しくないと思っている。
もしあるなら、せっかく死んでも、またあの世で友達つくったり上司にへつらったりせねばならないとしたら、死に甲斐がないからだ。今の世でも生きづらいのに、死んでもそれでは救いがない。

それでも、それでもだ。
今度ばかりは、Nが霊として出てきてもいい。
いや、出るべきだ。
出るとしたら、今しかない。
私の人生で、霊がみえるとしたら今、このケース以外ありえない。。
どこかの塾講師に先んじで
「今でしょ!」と言っていたかもしれない。
むしろ、今回出ないのであれば、
こんな間柄で、死んだその夜で、
しかも、二人が愛する沖縄の空の下で、
それでも姿を現さないのであれば、
むしろ、むしろ霊は存在しないのである!

それくらい断言していた。理屈はぐちゃぐちゃなのであるが。
もう一度書いておこう。

私は狂っていた。

その宣言通り、私は消灯後も寝ずに待っていた。
ダイビング宿の2段ベッドの上段で、私は物凄く近い天井を睨みながら今か今かとNの霊を待っていた。

とはいえ1日3本のダイビングは相当に体力をつかうのだ。
空が白み始める前に、眠りに落ちていたと思う。

翌朝、寝てしまったことを棚に上げて、
「現われなかった!おかしい」
と主張する私を、後輩二人がなんとかなだめすかして、
予定よりも早い船で那覇へ向かわせてくれた。
この段階では、Nの遺体が載る便がかわからなかったので
可能であれば、早い便で那覇を出発する為だった。
旅行会社勤務の後輩たちは、ほんとに色々動いてくれていた。

結局、私たちのフライトが変更できず、Nの体も、昼には羽田空港を出発してしまうことがわかり、私たちは予定通り那覇の国際通りに居た。
前夜の「霊を見るんや!」の気合が空ぶったことで
私は急速に弱り、通りのカフェに腰を下ろしたまま、文字通り立ち上がれなくなった。
私に付き合わせるのは悪いので、出発の時間まで一人でここにいるので自由に遊んでほしいと話したが、真面目で忠実な後輩は、交互に国際通りの散策に出かけ、一時も私を一人にはしなかった。

自害する道具としては、パスタについてきたフォークくらいのものだったが、それでも
「霊が来ない」
と朝まで言ってた人間を一人にするのはさすがに心配だったのかもしれない。

後輩二人には、今会うたびに謝っても足りない。

Nを載せた飛行機が、出雲空港向けて降下するころ、私たちの飛行機は四国沖を飛んでいた。
左舷の窓際から、私ははるか遠く、白い雲の海をずっと眺めていた。、

     (つづく)
・・・・・・・・
最後までお読みくださりありがとうございました。
読んでる人いるんかなぁ。
何故か警察に出頭、アリバイを聞かれたり、Nの霊の目撃談に悩まされる等の続編アップ予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?