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急逝した犬に教えられたこと

(めちゃめちゃラブラブハッピークリスマスをお過ごしのリア充アナタはブラウザの戻るボタンで、どこぞへと走り去ってください。暗い文なので今見ると目がつぶれますよ)

クリスマスイブにこんなこと書くのは、ほんと終わった人間のすることよね、とはおもいつつ・・。ようやく書けるようになったので。

今から1週間前の早朝、実家の飼い犬が亡くなった。14歳。小型犬の平均寿命であるそうだが、犬種的に若く見えるのと、実際足腰もしっかりしてて、目ヤニなどもなく毛並みがよいので、年齢を感じなかった。 12月初旬の帰省時も、紅葉のキレイな山寺の階段を元気に駆け上っていたほど。

 また年末にね、と頭を撫でたのが最後となった。

一緒に住んだわけでもなく、たまの帰省に会うだけだったにもかかわらず、ダメージは大きいようで、会社に居ても、電車の中でもふと思い出して涙が出てしまう。誰かと会って笑っているうちはいいのだが、次の瞬間には、思い出の中に埋没してしまう。気づくと、つーっと涙がこぼれている。

相変わらず「喪失」に弱い自分に苦笑する。

自分で認識しているが、私は心が弱い。

特に「喪失」に弱い。

喪失からの立ち直りが遅い。

生来の自己肯定感の低さに加えて、若いころの不幸な恋愛関連での喪失が重なったものと思われるので、私はいつのころからか、「失うもの」の無い様に気を付けているつもりだった。

それは「大切なものを持たない」ということ。

失って辛い思いをするくらいなら、最初から要らない。

最初から喪失をあきらめられる関係しか築かない、そう思ってきた。だから人に粗末に扱われても諦めてきた。

しかし、今回コロナ禍でうすうす気づいてきてしまったことがあって。

このまま会わずに終わりたくない友人や仲間の存在、
(超苦境ナウ、だけど)今いる業界と会社や上司(例のバカ元上司は除く)や同僚が、実は自分にとって大事なものだという事
30年近く過ごしてきたこの土地や一緒に過ごしてきた仲間への愛着は、自分が意識している以上だったということ。


そこに極めつけが、お犬様の急逝だった。

帰省の度に

「誰あなた?」みたいに出迎え

リードを持てば

「知らない人に引っ張られてます、アタシ!」

と怯え。

そのくせ、おやつだけは手づから食べる現金ものの

そんな彼女のことが、いつの間にか大切だったんだなあ、と。

帰省の間は常に彼女中心で生活してたんだもの。


人間は、もしかすると、大切なものなしでは生きていけないものなのかも、と。どんなに距離をとって、どんなに押し隠しても、いつの間にか大切なものが心に住んでしまう。そんな生き物なのかも、と。

人生で最も帰省した年の終わりに、旅立ってしまったあの子は、そう教えてくれたのかもしれない。

でも笑顔のひまわり畑から、まだ数か月。やはり、早すぎるよ。
年末、あの子のいない家に帰るのが億劫でならない。

最後まで読んでくれてありがとうございました

メリー・クリスマス

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