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コンプライアンスと利益追求の板挟みに経営者はどのように向き合えばよいのか?

今日はコンプライアンスについて書き述べてみたいと思います。
コンプライアンスはもはや企業にとっては当然の責務であり、それを避けて経営することはあり得ません。
それはそれで全くその通りではありますが、その中身に向き合った場合に経営者としては中々難しい選択を迫られるテーマがあるのも確かです。
コンプライアンスについて意識低い系はどう向き合えばいいのでしょうか?

コンプライアンスを一旦整理する

コンプライアンスを一言では説明はできませんが、なんでもかんでも一括りにして考えるのも違うと思います。そこで一旦整理してみたいと思います。

法令遵守ですから、法律に違反するあらゆることがダメなわけですが、法律にもたくさんの種類があります。

  • 営業に関すること

  • 雇用や労務に関すること

  • 秘密保持や情報漏洩に関すること

  • 経理や財務などお金に関すること

まだまだ他にもあるとは思いますが、私なりにパッと分類するとこんな感じでしょうか。
法律にも罰則の有無があったり刑事民事といったものもありますから、そうした違いによって遵守に向き合う度合というか、意識に差がついてしまうというのは正直あると思います。
だからこそ難しいなあ、となってしまいます。

また法令だけでなく道徳やモラルという側面もあります。
法令違反ではないが、社会通念や一般常識として如何なものかというテーマに関することもありそうです。
モラルの問題は一律に語れるものではないので結構厄介な領域になりそうです。自分の常識は他人の非常識とも言いますから、意見が分かれるのはこのあたりが多いのかもしれません。
例えばモラルについて社内で意見が分かれる場合があると、その判断は顧客やマーケットの志向性が基準になると思いますが、それを含めて社長が判断することになると思います。
となると、企業のモラルとは社長のモラルとも言えるわけで、いやはや改めて社長の責任は重大だなと感じざるを得ません。

コンプライアンスと利益追求は相反するか

禁断のテーマかもしれませんが、前提として大事なことだとも思うので触れたいと思います。
法令ですから遵守することは大前提なのは言うまでもありませんが、時代の流れや人の意識の変化でその重さに変化が出てきていると感じることは確かです。
例えばTV番組の演出において、昔ならさほど指摘されることのなかったことが今では絶対にやってはならないことになったという話しはよく聞きます。発せられる言葉、頭を軽く叩くといった動作など出演する方たちが窮屈さをつぶやくことなどは、こういう変化に因るところも多いのではないでしょうか。

ビジネスにおいても、今まではごく普通にやっていたことがよくよく考えてみるとコンプライアンスに反すると見做されて出来なくなったということもあります。業界によって様々にあると思いますが、例えば私が関わっている通販業界でもこういう変化は起こっています。

一番厳しくなっているのはいわゆる広告表示の問題です。

主に景表法に関わる領域なのですが、この法律に関しては法律も厳格化され且つ運用も厳しくなっています。昨今では課徴金制度が出来たり、行政だけでなく適格消費者団体なる組織によって訴訟が行われるなど幅広く「監視」される状況になっています。

今まで出来ていたことが違反になるということは、当然それらの行為によって消費者が不利益を受けた事態が多かったことになるので当然ではあると思います。
しかし一方で急速に厳格化されることで、営業活動の自由度が失われたことも確かです。あくまでも業者側の意見ではありますが、過剰な運用では?と疑問に思うことも実際にはあるわけです。
これまで顧客に伝えてきた言葉が使えなくなる。すると顧客には商品の良さや便益が伝わらなくなる。伝わらなければ顧客は購入意欲を持てないわけで、結果として売上が下がります。せっかくその商品が持っている良さ、開発者が苦労して作り上げた新しい機能が顧客に、消費者に何も伝わらない。伝えることすらできないというのは本当に致命的なのです。

そうすると当然経営者は悩むわけです。

コンプライアンスは会社の業績を下げることになる、と。

いや、コンプライアンスを守った上で利益追求していくのが経営者の仕事だと言われればその通りなことは充分に理解しているのです。しかし今まで使っていた「道具」が使えなくなるわけですから、それによって「成果」が得られなくなるという現象が起こるのも必然です。時間をかけて対策を練り新たな「道具」を探し作り上げていくのですが、実際にはそう簡単ではない。出来たとしても時間がかかり過ぎて会社の存続が出来ないということもあり得るわけです。

資本主義だから「敗者」は退場すればいいと思われるかもしれませんが、顧客も取引先も、そして社員もいるのです。簡単に退場することもできない。
そもそもなぜこうした状況になったのかと問われれば、その背景には、いわゆる「悪徳業者」がいたのも確かです。それはそれとして認識した上で、

コンプライアンスと利益追求は相反するか

と聞かれたら

相反すると言わざるを得ないのは確かなのです。

それでも向き合うにはどうすればよいか

こんなことを書いていると、「コンプライアンスを軽視してもいいのか」と叱られるかもしれません。私は基本ヘタレなので再三繰り返しますが、軽視してもよいとは全く思っておりません。ただ、悩ましいと感じているということです。

コンプライアンスを徹底するためにまず取る方法は規則を厳格化し徹底するということになります。広告表示ではないですが、私は業界内でもかなり早い段階でPマークを取得しました。通販業界は個人情報が集積しているのでその漏洩を防ぐためです。個人情報の取り扱いはかなり厳格に行ったと自負しています。

しかしその一方で社内の規則を厳格化し徹底するということに限界も感じました。規則を徹底するということは、社内に規則を徹底させる役割が生まれます。すると守らせる側と守る側に社内は分かれます。人数的には守らせる側の方が少ない。しかしその側の権限は強くなります。守らされる側も、守るべき理由は理解していたとしても、やはり規則によって、誰かの権限によって守らされているというのは窮屈に感じるものです。
ましてやその結果、売上が減少したりコストが増えるわけですから、理屈としては分かっていても何かしらのストレスは溜ります。

守らせる側も法令に従い、規則に従い会社を守るためにしていることですから義はあります。しかし徹底すればするほど監視に繋がり権限を振るわざるを得なくなる。それはそれでストレスに繋がります。

そしてその双方のストレスが溢れ出ると社内は分断してしまう。

私はその状態が嫌だったのです。

「社長はコンプライアンスと利益追求と、どっちが大事なんですか?」
という問いに繋がります。

誤解を恐れずに正直に本音を言えば、
社長は利益追求が大事です。
売上利益は会社の存続がかかってますから。

しかしそれを正面から言葉にしてしまうと
「コンプライアンスを軽視するのですか、無視してもいいのですか」
となってしまう。

やはりコンプライアンスが大事だと言葉にすれば、利益追求、売上利益は二の次ですね。経営危機になったらどうするのですか、という問いに向き合わなければならない。本音とは裏腹ですから嘘はばれます。
どっちつかずにしていれば、双方から責められることになります。
「うちの社長は大事なことを決められない人だ」と。

そんな葛藤を抱えながら、私なりに出した結論はこれでした。

「利益の追求も、コンプライアンスも両方大事だ」です。

実に安直な結論です。
しかし、これしかなかったのです。
そして、結果としてこれでよかったと感じています。

理想として言えば、コンプライアンスは守る。売上利益も目指す。守らせる側もいるけれど、守らせる側だって売上利益にも責任は持ってもらう。
皆で守り、皆で守らせる。
皆で利益を追求し売上利益を向上させ、そのために知恵を絞り合う。

実に日本人的な発想です。

両方大事にするために

両方大事にしたら、虻蜂取らずになるという結果もあったかもしれません。どっちつかずの中途半端な会社になるリスクもありました。

そこで生きた、というか、そこでも生きたのが「対話」だったと感じています。

なぜ守るのか、でも守り過ぎるとどうなるか
なぜ利益は大事なのか、利益が減ると何か起こるのか
なぜ厳格なのか、でも厳格過ぎたらそれも窮屈ではないか
などなどです。
しかし、これらのテーマを正面から掲げてしまうと社員たちは構えてしまう。私自身もそこまで重い話を続けるのは精神的にきつい。そこで具体的な言葉やテーマは違う話だったとしても、対話の中でこうした二律背反にどう向き合うか、どう考えるかを意識して行ったりしました。

規則に対する従順性や反発心、利益を上げるということに対しての価値観といった側面は他のテーマで対話をしていても自然と現れてくるものです。そんなところからお互いの価値観をすり合わせたり、相互理解を深めたりをしていきました。

こうした組織の土壌を作ることで、コンプライアンスと利益追求というともすれば二律背反に対する柔軟性を育み、その両方を皆で追求する組織風土は作れるのではと思うようになりました。

実際にどこまで出来たのかと問われれば、まだまだ道半ばだとは思います。というかそもそもゴールなんてないと思います。法令も変わりますし、法律の運用が変わるのはしょっちゅうです。社会も変わりますし、人の意識も変わります。
コンプライアンスと利益追求のバランスは永遠の鬼ごっこみたいです。

でも、永遠だからこそ、永遠に続けられる風土が必要になります。いつか疲弊してしまう風土では永遠には対抗できませんから。

すると私はやっぱり「対話」とそこから育む成功循環モデルに従った経営というのが経営の根幹になっているのだなと再認識してしまうという結論に行きつくのです。


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