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『上昇志向』を掘り下げる

今日は、『上昇志向』を掘ってみたいと思います。

『上昇志向』で身を守る

上昇志向
向上心やハングリー精神などを持って、より高い次元を目指そうとする気持ちのこと。「上昇志向が強い」という場合、単に「向上心が強い」というよりも、「権力欲や出世欲などが強い」といった意味でしばしば使われることもある。  -実用日本語表現辞典

私にも、現状に安住せず、自己変革を繰り返して、もっともっと優れた人間になっていきたい、という意欲はあります。より高い目標を掲げずに、現状に安住していては退化する一方だ、という危機感もあります。

特に今の日本のように先々右肩下がりが見えている社会では、世間並の努力をしているだけでは、世の中の平均が下がるのと足並みを揃えて自分も沈んでいくことを覚悟せねばなりません。

『自分らしく、マイペースで自然体で生きる』は理想の生き方です。が、世の中には圧倒的な努力と行動をしている人達がいます。他人との競争に打ち勝つことが正義ではないにせよ、少なくとも未来の自分が、昨日までの過去の自分を超えていくことを目指して努力を継続していかないと、ジリ貧は確実に進んでいきます。健全な『危機感』と健全な『上昇志向』を持っていないと、生き抜くことは難しいのです。

『上昇志向』に抱いているマイナスイメージ

私は、権力欲や出世欲を充たすことを最優先する『上昇志向』は邪悪であるという価値観を持っています。自分がよりよくなりたい、という向上心から自分を磨くのではなく、ライバルを貶めてでも周囲からの評価と称賛を得て自分をよりよくみせたい、という目的から行動するのは卑しい考え、という思いがあります。

その思いは多少改善(後述)していますが、出世意欲満々で、日々の行動が権威主義的な人には好感が持てません。自分の世俗的野心を剥き出しにするのは不健全だと感じます。野心家的価値観を信奉する人を否定したり、批判したりする資格は私にありませんが、自分の『上昇志向』を実現させる過程で、周囲の人を貶めたり、不幸にさせても何の痛みも責任も感じない人は厄介だと感じます。

● 自分の敵視する人を、手段を選ばず、徹底的に追い込んだり、
● 用がないと判断した人を、屈辱的な扱いをして容赦なく切り捨てたり、
● 取るに足らないとみなした人を、無視して相手にしなかったり… 

そういう振る舞いを平然とする人には共感できません。もし自分が所属する組織の直属の上司だったりしたら、軽蔑し、距離を置きます。

自分の好まない『上昇志向』の表出を全否定するのは間違い

しかしながら、自分の目的を達成し、世間に積極的に還元している人に、自分の『上昇志向』に忠実な人が多いのもまた事実です。自分が好きではない形で『上昇志向』を剥き出しにしている人全てを避けるのは間違いだと、今さらながらわかりました。

『女の子にモテたくてギターをはじめて』成功したロックスターとか『誰よりも抜きんでて足が速かったので、先生にすすめられて』競技の道に進み、オリンピック選手になったといった話も聞きます。こういった願望の中にもも、『上昇志向』はたっぷりと含まれています。

自分の望む大きな目的を実現するには、辣腕をふるえるポジションに到達しなければならない場合も多いし、そのポジションに相応しい考え方や立ち振る舞いを身に付ける必要もある。言動や行動に裏表があり、接する相手の立場によって露骨に態度を変える人は確かに嫌われますが、そういった欠点があっても特定の実力者からは可愛がられて、引き上げられていくケースはごまんとあります。より上位目標達成の為に、意識的に「ごますり」をする人の気持ちは理解できるようになりました。

『上昇志向』に関する結論

月並みですが『上昇志向』についての私の結論は以下の感じです。

● 向上心という『上昇志向』を持つことは常に必要だ。
● 『上昇志向』を持つ目的は関係ない。
● 但し『上昇志向』が満たされた後に人間性が露呈するので、人間性を磨いておく必要がある。

今回の『上昇志向』というテーマは、2019年末の紅白歌合戦で、ビートたけしの歌う『浅草キッド』に感銘を受けて着想しました。

ビートたけしさんは、『上昇志向』を次々と叶えた大スターですが、その裏で売れない芸人への温かさをいつまでも持ち続けている人だと聞きます。そういう『上昇志向』の強い人の下にこそ、人は集まるのでしょう。

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