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今ぼんやりと考えていること on 2021/7/11

本日は、今の私が『ぼんやりと考えていること』をぼんやりと書き残すことにします。これから先に読み返して、補足をし、さらに肉付けをしていく前提で、完成形を意識せずにスタートします。

立ち止まってばかりもいられない……

という気持ちは、本格的な就労機会への復帰を拒否し続けている今も、ずっと持ち続けています。ただ今に至るまで、安定した生計費を工面することだけを目的に、人生前半戦のような一つの組織、職種にフルコミットメントして働く勇気が持てずにいます。

雇う側にすれば、私の経済的価値を公正にはじき、ある程度の期待を込めて組織に招き入れるかどうかを決断する訳です。私がその組織の定めるルールに従い、期待される役割を果たすことは絶対条件です。その条件に適合する為には、ある程度は自分を偽って演じたり、制約を我慢したりする覚悟が必要です。懸命にやるしかないのですが、狙った成果が出せなければ、自己嫌悪にもなるし、申し訳ない気持ちにもなります。

会社員時代の価値観にどっぷりとハマっていた頃の私なら、苦もなく受け容れた現実ですが、会社員時代に培った価値観のアンラーニングを進めてしまった今の私には、不安と恐怖が一杯になっています。

ちょうどええ!

ある時期、吉本興業所属のお笑いコンビ、2丁拳銃の「丁度ええ漫才」というネタに嵌まっていました。

ツッコミの川谷修士さんの出したクイズに、ボケの小堀裕之さんがひねった答えをし、それに修士さんが「ちょうどええ!」と落とす、というやり取りで進んでいく漫才でした。私の笑いのツボに合っていたようで、笑っていると、妻からは変な目で見られていました。

私は、生きていく中で押し寄せてきたり、浮かび上がってきたりする課題に対して、都度「ちょうどええ!」を探し求めてきた気がします。私には、あらゆる事象に対して、自分の中で「ちょうどええ!」という判断基準があります。それは、私の信条である”Pain is innevitable. Suffering is optional."にも通じています。

社会人ならば、自分の「ちょうどええ!」の許容範囲内から逸脱していても、一旦は我慢して受け容れざるを得ません。周囲から、自分の限界を超えろ、自分の殻を破れ、と鼓舞されたり、圧力をかけられたりもします。そういった自分の意に沿わない状況に耐えたり、乗り越えたりするのが生きることの醍醐味であり、人間の真価なのだ、という意見も理解します。

しかしながら、どんな人間でも、自分の「ちょうどええ!」をずっと外れた状況で長時間過ごしていると、そのことによる弊害が至る所に現れます。最終的には、自分にとっても、周囲にとっても不幸や災難な状況を呼び寄せるような気がするのです。

なので私は、わがままと言われようとも、自分の価値観で許容できる程度の「ちょうどええ!」環境を探し続けたいし、そこで花を咲かせる努力をしたいと思っています。

これも運命

7月後半に山口県美祢市で企画されていた、農業・林業・田舎暮らしの体験ツアーに申し込んでいました。残念ながら、私の住む神奈川県横浜市へのまん延防止等重点措置の対象区域指定が、8/22まで延長が決定したので、私の参加はNGとなってしまいました。

人生後半戦では、農業や林業に関与する仕事をやるのもいいな…… と考えていたものの、なかなか行動できずにいました。この企画への参加を新しい挑戦の第一歩と位置付けて、意気込んでいました。決定内容は少々残念ですが、これも運命、縁なのでしょう。

地方移住ブームがきているのでしょうか、他の市町村でも類似の企画があるようなので、引き続き検索を進めていきます。

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