見出し画像

未踏県の旅2020【其の伍】鹿児島(鹿屋)on 2020/12/21

鹿児島〜鹿屋

九州四泊五日の旅も、今日が最終日です。本日向かうのは、薩摩半島から錦江湾を渡った対岸の大隅半島の街、鹿屋市の鹿屋航空基地史料館です。

本日も快晴に恵まれました。今回の旅はずっと晴天続きで助かっています。鹿屋までは、鹿児島中央駅から直通バスが運行されています。途中、鴨池港〜垂水港区間はバスごとフェリーに乗って移動します。

フェリーに乗船後はバスから下車して、フェリー内の施設で過ごしてもいいので、船旅も同時に楽しめてしまうというなかなかお得な移動ルートです。船内の食堂でうどんをいただきました。具のエビ天の解凍が不十分で、氷菓子を食べている食感だったのはお愛想というところです。

画像1

画像2

垂水港でフェリーを下りると、史料館の最寄りバス停の「航空隊前」までは、30分弱で到着しました。

鹿屋

鹿屋基地は旧日本海軍が創設した海軍航空隊の主力基地で、現在も海上自衛隊の現役基地として稼働中です。お目当ての史料館は、この海上自衛隊鹿屋基地の敷地内にあります。

新型コロナウイルス感染症対策は厳格で、施設見学は予約制で、事前登録が必要です。見学は一日四回、各1時間半。一回あたり40名限定です。入館時の検温、施設内閲覧時のマスク着用も当然マストです。

2階の旧日本海軍時代の展示物の写真撮影は、零戦の機体以外は禁止となっています。子どもの頃から太平洋戦争の戦史物に慣れ親しんできた私には、どれも興味津々の史料が展示されていました。

日本海軍は、ハワイの真珠湾奇襲を成功させるため、地形が似ている錦江湾を仮想真珠湾に見立てて海軍航空隊に極秘の飛行訓練を命じました。その際の訓練拠点になったのが鹿屋基地です。

真珠湾は水深が浅く、従来型の魚雷では目的の艦船に達する前に海底に沈座してしまうという問題があったため、パイロットは難度の高い低空飛行から入射角度を浅くする魚雷発射訓練を繰り返し、技術者は沈座しにくい形状の魚雷装置の開発を進めました。館内展示には、訓練時の飛行ルートの地図やエピソードも記されていました。

鹿屋基地からは数多の精鋭パイロットが育ち、戦地へ旅立っていきました。戦局が悪化し、敗色濃厚となった昭和20年になると、鹿屋からも特攻機が多く発進していきました。知覧同様、特攻志願兵達が残した遺書や両親に宛てた肉筆の手紙が展示されていて、再び深く考える機会になりました。

施設内には、海軍精神についての解説もありました。旧日本帝国海軍には、日本海海戦の大勝利という圧倒的な成功体験があります。歴史を重ねる中で培われた海軍精神は、この成功体験とセットになって強固な礎となり、日本人の教育指針や価値観にも確実に影響を与えていると思わざるを得ませんでした。海軍精神的価値観が、日本人の国際社会での美点として評価を得ている部分もありますが、今では弱点になっていると思えるフシもあります。海軍精神の詳細は別の機会に深く掘り下げてみたいと思います。

見学終了後は、別棟内の食堂でカレーをいただきました。カレーは海軍名物です。横須賀が有名ですが、鹿屋のカレーも美味でした。

画像3

画像4

画像5

画像6

鹿屋〜鹿児島市内〜鹿児島空港

帰りは、行きと同じルートで鹿児島市内に戻り、鹿児島空港へ向かうまでの限られた時間で、できるだけ沢山の史跡を回っていきたいと思います。

鹿児島市内は史跡の宝庫です。駆け足にはなるでしょうが、目に焼き付けて帰ろうと思います。鹿児島のシンボルはやっぱり桜島だという気がします。この光景もしっかり焼き付けて帰ります。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。