見出し画像

感謝の気持ちは言葉にしないと意味がない

感謝の気持ちは、きちんと言葉にして相手に伝えないと意味がない、と思います。言い古された言葉ではありますが、最近になって本当にその通りだと再認識するようになりました。

訓練で身に付けて習慣化する

相手に親切にしてもらった場合には勿論、一見当たり前と思うことに対しても、してもらったことに都度適切な謝意を示すことが出来る人は、人間性が高い人だと思います。こういう人は、どの分野においても重宝され、活躍し、結果を残せるでしょう。

些細なことにも都度きちんと感謝の気持ちを言葉にするのは、日々の訓練によって、後天的に身に付けられます。無意識にできるように習慣化してしまって損のない行動だと思います。

心がこもってない感謝を述べるのは意味がない、却って逆効果になる、という意見もあるかもしれませんが、最初は形式的だと思われてもやり続けるべきだと思います。続けることでだんだんサマになっていきます。

人間関係の破綻を招く感謝不足

特に気を付けておくべきは、自分にとって大切にしたい、親しい間柄の相手との関係においてです。距離感が近い人との関係では、必要な時に、必要な感謝の言葉を述べなくても、いきなり相手との信頼関係が崩れることはないでしょう。だから怖いのです。

相手がリア充状態で、心に余裕がある時であれば、自分が相手の親切や好意に無頓着な態度を取っても、軽く受け流してもらえる可能性は高いです。そういう時は、感謝の気持ちを相手から受け取ることを期待していないので、無礼な態度にも寛大に対処してくれます。そこで、「この人は寛大な人だ」と見切ってしまい、少々の非礼でも目をつぶってくれると錯覚するて、付き合い方に油断が生まれます。

人間ですから、どんなに寛大で性格温厚な人でも、不愉快な気分の時や、願望が満たされなくて悶々としている時が必ずあります。どんなに信頼し、親しい間柄だとしても、そういう時に空気が読めずに、相手がしてくれる親切や好意に感謝の言葉を返さないような無礼な態度を繰り返していると、徐々に不信感が芽生え、蓄積されていきます。

爆発する予兆を埋め込み続ければ、些細なきっかけでバランスは崩れ、破裂します。長い時間を掛けて醸成されてしまった自分への不信感を払拭するのは困難です。そうやって、お互いにとって大切だった人を失っていくのだと思います。勿体無いし、怖い話です。

無頓着なせいで、余計な失点を重ねていた

私は相手から感謝されることを余り期待しないタイプで、相手の非礼は余り気にならない方だと思っています。自分が相手に感謝の言葉や見返りを期待しないタイプなので、相手もそうだろうと勝手に値踏みしてしまう悪い癖が私にはあります。

その結果、自分の気付いていないところで礼儀を欠き、相手の気分を害させてしまうという失敗をこれまで何度も犯しています。人間関係の機微の部分で詰めが甘い人は、あらゆる場面で損することになります。

私にも自覚があります。自分の調子が良くない時期ほど、普段愛想がない人から優しい言葉や労いの言葉をかけてもらうと嬉しくなって、一気にその人への対人感情が変化する時があります。

逆にこれまで分かり合っている相手だから‥と違和感を覚えながらも寛容に対処してきた相手の一挙手一投足が突然気に入らなくなってしまう時があります。これまでは軽く受け流せたことが、ある瞬間を境に、相手への違和感に変わり、距離を置きたくなる時があります。

あらためて…

しらじらしくても、面倒でも、相手から受け取った親切や好意には感謝の意を言葉にする手間を惜しんではいけないと心に刻みます。継続していれば、それが自分のキャラクターとして定着して、いずれ幸運が舞い込むかもしれません。当たり前のことを当たり前に出来る人は思いの外少ないので、「凡事徹底」こそが最後に勝つと信じます。


サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。