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【追悼】佐藤忠志先生

先日、「金ピカ先生」の愛称で知られた佐藤忠志氏(1951/5/4-2019/9/?)が亡くなっているのが発見された、との報道を目にしました。享年69歳。晩年は長年連れ添った妻とも別れてのひとり暮らしで、生活困窮で生活保護を受けていたらしく、孤独死だったようです。

金ピカ先生で一世風靡する前から知っていた

私が佐藤氏を知ったのは、大学受験の勉強に利用していた『旺文社大学受験ラジオ講座(ラ講)』の講師をされていた1986年のことです。通称、”ラ講”は、予備校で人気の当代一流の講師陣が起用されていて、有名予備校にはなかなか通えない地方の高校生にはとても重宝する自習コンテンツでした。

当時の佐藤氏は、代々木ゼミナール所属の人気英語講師で、英単語や長文読解の講座を担当していました。大学受験に向けて、英語力の強化が課題だった私は、先生の講義をテープに録音して、何度も聴いていました。

大学受験が終わると氏との縁は切れます。ただその頃から、佐藤氏のやくざ風のいかつい風貌とヒカリモノをあしらった派手な衣装が「異色の予備校講師」として話題になりはじめ、「金ピカ先生」としてテレビのバラエティ番組でもよく目にするようになりました。

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人気予備校講師を辞めて波乱の人生のスタート

佐藤氏は、当時新興の予備校として強化を進めていた東進ハイスクールに移籍し、看板講師の一人として活躍していました。予備校講師を1990年代前半に辞めた後は、タレント活動をしたり、選挙に出たりしていたようです。

全盛期には結構な年収を稼いでいたものの、私生活では金遣いが荒く、派手に散財をしてしまったようです。ネットで調べると、亡くなる直前に週刊誌の取材を受けた時の記事がヒットしました。

長年の体調不良で風貌は激変し、頼る身寄りもなく、東京都内で生活保護を受けながら、人生に絶望したかのように全く生きる気力を失って過ごしていたようです。かつて一世を風靡していた人の最期としては、甚だ悲しいものがあります。

考えさせられる最期

何が佐藤氏の人生後半をそのように至らしめてしまったのか…… なぜ生きる気力を喪った廃人のようになって、死ななければならなかったのか…… 

かつては、世の脚光も浴びて我が世の春を謳歌し、教育者として多くの受験生を大学合格へ導いてきた人だったのです。本人自身も、絶頂期には、自分を「成功者」なのだと疑いもしていなかったでしょうし、このような結末は想像もしていなかったでしょう。佐藤氏の孤独死のニュースは、ちょっと心がざわついた事件でした。合掌。

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