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”Who are you?”について

本日のテーマは、最近話題のSNSサービス”Clubhouse”の楽しみ方を解説する中で耳にした「Clubhouseでは、”Who are you?”が大切」という表現に心がちょっとざわっとしました。以下思ったことです。

”Who are you?”は尊敬を抱いていない相手に対して使うことば

私には、"Who are you?"は侮蔑的なニュアンスを含む表現であり、特殊な状況を除いて使うべきではないという認識があります。日本語訳は「あなたは誰ですか?」という丁寧表現ではなく、「あんた誰?」という突き放した言い方になると思います。見下した相手に発する表現と理解しています。

映画やドラマでの登場人物が、"I know who you are.”とか”I don't know who you are."と発するシーンは多々ありますが、ネガティブ感や不信感を感じて相手を責めるようなニュアンスを感じます。

ビジネス英語のテキストには、”電話をかけてきた相手を確認する時に”Who are you?”は失礼なので”Who is calling, please?”"と言いましょう”という注釈がついていたりします。もしもビジネスシーンで”Who are you?"を使おうものなら一巻の終わりです。シリアスに考えておくべきでしょう。

私が中学校の英語教科書で見て、何度も音読させられた "Who are you? I am a boy/girl." という表現は、もはや恐怖です。さすがにもう使われてはいないと思います(未確認)。もしも生徒の記憶に刷り込まれて、将来英語圏で無邪気に使ってしまうと、サバイバルレベルで危険です。

Clubehouseには警戒感がある…

おそらくこれを言っている人は、「”自分が何者であるのか”を明確にすることが、Clubhouseで影響力を得て楽しむポイントである」という主張をキャッチ―に言い表す意図で”Who are you?"を使われたのだと思います。魅力的な”I am...."のない凡人が無理して参加しても疎外感や徒労感を味わうだけですよ、という警告の意図もあるのかもしれません。

Clubhouseには「気の合う仲間”だけ”でおしゃべりを愉しむ閉じた空間をネット上に提供する」というコンセプトがあり、異物を排除できる仕組みが巧妙に設計されている気がしています。

もしも、既存メンバーが新たに仲間入りしようとするメンバーに”Who are you?”と問うて、品定めすることをよしとする傾向の強いメディアなのであれば、私は馴染めないだろうなあ… 遠慮しておこう… と思います。

The Whoを思い出した…

ここまで少々非難たらしく書いてしまいました。私の心がイラついたのは、自分が「Who are you?」と乱暴に問われて、自信を持って答えることばを捨ててしまったからかもしれません。次に進むべき道が定まらないことへの自分への苛立ち… 疎外感を抱く毎日への焦り… そんな心の闇を揶揄されたと感じたのでしょう。

一気に話を急転させますが…
”Who are you?”ということばから連想するのは、英国三大ロックバンドの一つ、フー(The Who)の1978年発表の楽曲『フー・アー・ユー Who Are You』です。

ドラマーのキース・ムーン(Keith Moon 1946/8/23-1978/9/7)がアルコール依存症の離脱症状を抑える薬物のオーバードーズで亡くなる直前にロンドンのスタジオで撮影されたというプロモーションビデオが残されています。

私は心の平静に保つ薬を、音楽や映画や本や旅に求めています。noteテーマにそういうものが多いのは、諦めずに「Who I am」を見つけようと日々自分なりにもがいているからでしょう。今夜は大学時代の友人たちとZoom飲み会を開きます。求道活動を続けます。

今回頭によぎったフーは、私の嗜好に合う音楽性を持つ魅力的なバンドだろうなという予感があったものの、これまでなかなか距離を縮められなかった対象です。今回受けたショックを機会に、彼らの音楽世界にのめり込んでみようと思っています。


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