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徒手空拳

たまに耳にすることばに【徒手空拳】があります。辞書で意味を調べると

【徒手空拳(としゅくうけん)】
手に何も持っていない意。物事を始めるとき頼りになるものが何もなく、身一つであること。

とあります。「徒手空拳で挑む」と言うと、圧倒的に不利な、無謀な闘いをするようなイメージになります。

ただ、世の中の成功者と呼ばれる人には、今現在が【徒手空拳の状態】でも、自分が面白い、勝算があると感じてやると決断したら、一心不乱に走り始めてしまうような人が多いと聞きます。【徒手空拳の状態】を怖れずに、強い敵に出くわしたり、辛い状況に直面している方が燃えるタイプの人達です。ひょっとすると、そもそも自分が【徒手空拳の状態】にあると自覚していない、頭のネジが二、三本抜けたような人かもしれません。

私は後先考えずに威勢のいいことを言う時もあるものの、実際には【徒手空拳の状態】が大の苦手で、知識を固めて手厚い防御を作ったり、失敗した場合に逃げ込める安全地帯を確保して、結局やらないタイプです。安全運転志向が強く、苦労しそうでハードルの高い難関に挑戦する意欲に欠けるところがあります。これは私のかなり根の深い欠点であると思います。

これまでの人生で、私のこの安全志向の性向がプラスに働いてきたことがあったのは事実です。あえて甘い点数をつければ、プチ成功くらいはしているかもしれません。自分の選択を否定したくなくて、これでいいんだ、これが私の生き方なのだ、と自分に納得させている部分もあります。

ただ、自分を超える闘いを怖れてジャンプ出来ないタイプの人間は、成長や発展が限定的です。考え方のスケールがどんどん小さくなっている自覚があります。これまで出会った、大失敗するリスクもあるが、大成功する可能性もあったチャンスを、勇気がなくて逃してきたような気もしています。若い頃に腹を括って命を賭けるような挑戦をした経験がないというのは、50歳を過ぎて心残りです。

私に深く根ざしている安定志向から脱却する為には、強制的に【徒手空拳の状態】に身を置いて、今の価値観を覆して、自分を超える闘いをせざるを得ない環境に追い込むしかないのかな、と思っています。人生は一度、後悔するのは勿体ないと頭では理解しています。でも、まだ迷ってる‥

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