「生産性」についてのモヤモヤ
本日のテーマ「生産性」は、なかなか難関です。一度で語り尽くせるとは到底思えないので、本日は私の抱いているモヤモヤ感を、できるだけ率直に吐き出すことにしようと思います。
「生産性が低い」を枕詞にした議論が多い
余りにも多くの人が語っているので、私たちの脳裏への「日本の労働生産性は低い」という刷り込みは、かなり強固なものになっています。公益財団法人日本生産性本部が公表する「労働生産性の国際比較2021」は、多くのメディア媒体やエコノミストらに、「日本の労働生産性が低い」=ダメな日本という文脈でしばしば引用されます。
さらに気になる傾向として、本来経済に関する用語だった筈の「生産性」が、適用される範囲が、拡大している印象もあります。
衆議院議員の杉田水脈議員が、2018年に雑誌『新潮45』に寄稿した原稿の中で、”LGBTのカップルには「生産性」がない”という主張を行い、大きな批判を浴びたことは記憶に新しい所です。カッコ書きした「生産性」という物差しを、LGBTのカップルにも適用しようという風に読めます。
杉田議員にも主張があるでしょうが、子どもを産まない=「生産性」がない、という発想には共感ができません。そこから透けて見える「生産性」があるかないかを判断の基準にすべき、という考え方にも馴染めません。
「生産性」を考察する為の箇条書き
さしあたての、私の「生産性」に対する疑問やモヤモヤを箇条書きにしておきたいと思います。
サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。