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お金が目的では、死ぬ気で頑張れない

本日は、不遜であることは百も承知の上で、私の本音を綴っておきます。それは、『お金が目的では、死ぬ気で頑張れない』ということです。

お金が嫌い? いいえ、大好きです

生きていく上で、お金が必要不可欠なものであることは、よくわかっているつもりです。何だかんだいっても、お金の力を借りることで切り抜けられるピンチや避けられる苦労はたくさんあります。豊かな暮らしは勿論のこと、一般には『お金では買えない』とされている、命や、友情や、愛情や、名誉ですら、お金が宿している直接・間接のパワーを使えば、手に入れることも可能です。

「世の中はお金が全て!」とまでは思いませんし、そのような考え方に染まりたくもありません。とはいえ、人生の悩みや苦しみや悲劇的な事件の80%以上は、お金の力で解決が可能だろうと思います。綺麗ごとを抜きにして、お金には、人々の不安や不満を抑制する効果があるのは事実でしょう。

私だって、お金は好きです。お金があることは、人生の可能性と選択肢を広げ、自身に余裕を与え、他者への寛容の精神を発揮する源泉になる、と本気で信じています。お金がない=貧乏は、私の最も忌み嫌うものの一つです。自分の大切にしている信念の幾つかを曲げたとしても、貧乏に甘んじることだけは避けたいと心底思っています。だから、自分の持っているお金を守りたい、お金を無駄には使いたくない、あわよくば殖やしたい、という気持ちは人一倍強く持っていることを自覚しています。

経済的余裕がないことで、ついつい醸し出してしまう卑屈な態度や僻みっぽい感情が嫌いです。『夢を追い、好きなことをやれるなら、極貧状態なんて屁でもない』という人がおられますが、私には無理です。人から蔑まれ、極貧状態に陥る確率が高そうな道は、それがどんなに好きな夢であっても、諦める方を選択します。本当に諦めきれない夢ならば、一度断念して先にお金を手にして生活基盤を盤石な状態にしてから、挑戦しようと考えます。収入や財産があり、日々の生活を送る為の不安が少ないことは、私にとっては大切な要素です。

お金が稼げても嫌なものは嫌

以上の話からは矛盾するようですが、お金がないからといって、生理的に我慢のならない仕事やずる賢いお金儲けをしたいとは思いません。お金稼ぎを目的に死ぬ気で努力したり、全てを犠牲にしたりすることもできません。自分の器以上のお金を手にしようとすると、ロクなことになりません。

「そんなきれいごとが言えるのは、お前が本当の意味で、お金で苦労したことがないからだろう!」と詰問されたら、素直に「そうです」と答えます。実際、お金がなくて食えないという経験は、生涯一度もしたことがありません。それは、私に適切な金銭感覚を教育し、養ってくれた両親のお陰であり、成人して社会人になって定職に就き、身の丈に合った生活を続け、地道に財産を残す努力を続けてきた自分の鍛錬のお陰であり、大金を必要とする予期せぬ出費に見舞われなかった幸運のお陰です。今、何とかやっていけていることを、心の底から感謝しています。

自分が心底嫌なことを拒否できるだけの経済的ゆとりを早期に確保することは、社会人になってからの私の一大テーマでした。サラリーマン人生を定年まで続けるという常識的な選択を放り出し、自己都合退職に踏み切れたのも、この先10年くらいならば、無収入でも何とかなる経済基盤を固められたという確信が働いたからです。そんな状態だったので、世間体を慮って居心地の悪い環境で精神を削り続ける必要などなかろう、という自分に甘い決断が出来ました。その背景には、三度目のモラトリアムの時間を持てるだけの慎重な設計と資産運用をしてきたから、という自負はあります。

この問題は、また機会を変えて、もう少し掘り下げてみたいと思います。



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