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順番にいい目をみよう

本日は、『順番にいい目をみよう』という私の願望を膨らませたものです。

心がザワっとする瞬間

時代のトレンドは刻一刻と変化しています。50年以上生きてきた私は、その間の時代の空気の変遷を経験しています。ただ、若い頃に刷り込まれ、長い時間をかけて染み付いてしまった古い価値観に縛られていることは否定出来ません。頭では、古い、時代にそぐわない、とわかってはいても、どうしても捨てきれない価値観もあります。

労働観は最たるものかもしれません。地道に、愚直に、報われなくても文句を言わずに黙々と額に汗して働く人が偉い、という価値観があります。コスパやタイパを考えるのが常識の現代にあっても、河島英五『時代おくれ』で描かれているような男の世界観が好きなのです。なので、私が「真っ当」と考えている人たちが、蔑ろにされたり、報われずにいたり、馬鹿にされたりする光景を見ると、心がザワっとします。

私自身が娯楽としてよく鑑賞し、楽ませて貰っているYouTubeがお金儲けになる、という事実も、心底からは認められていません。動画製作を仕事とするYouTuberという仕事には、虚業のような感じが拭い切れません。また、自分の知名度や強みを使って、クラウド・ファンディングで不特定多数の人々からお金を集めて、自分の欲望を実現するようなスタイルが定着するのにも、素直に納得できないものを感じます。そんなことでは時代に取り残されることはわかっているのですが......

雑巾がけの下っ端生活からスタートするのをすっ飛ばして、高速レーンを走って一気に社会の階段を駆け上がり、傲慢な態度を隠さない人の姿を見ると、ご本人がいかに才能に恵まれた人間で、蔭で努力を重ねて掴んだとわかっていても称賛する気持ちを持つ以前に、ズルくないか?と感じてしまいます。別の場所ではもっと苦労して欲しい、その能力を自分の私欲以外にも使って欲しい、と意地悪い感情が湧き起こります。

個人で独り占めできる時代だから

権力のある人間がその気になれば、自分たちにメリットがあることだけを採り入れて、都合の悪いことは全て他人や社会に押し付けてしまうこともできるようになってしまった気がします。

非道なこと、狡いことを平気で行うようなゲスい人間には必ず天誅が下る、と信じたいものの、悪知恵が働く人間は益々狡猾になっていて、簡単には転落しないように盤石な体制を築いてしまっているようにも見えます。だからこそ、真っ当な感覚の持ち主、寛容な精神の持ち主がより高いポジションに就いて貰わないと、虐げられる人々が固定化してしまいます。そういう社会は嫌なものです。

順番にいい目を見よう

生きている限り、一度はいい目もし、一度は辛い体験もできるようになっていて欲しいものです。恵まれた立場にいる人は、強欲に自分の取り分ばかりが優先されるような社会を作らず、社会全般にメリットが広く行き渡るような社会を設計して欲しいものです。


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