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うまくいかないものをどう終わせるか

例えば何かに取り組んで、途中の道のりがどんなに苦労の連続だったとしても、最終的に狙った結果を達成できたら、その挑戦はものすごくハッピーな記憶として認識されます。「狙った結果を残した」という経験と実績を持っている人は、いわゆる成功者として世の中でも重宝され、そのことを武器としてお金を稼ぐことだってできます。

しかしながら、現実は厳しくて、何から何までうまくいくことはなく、覚悟を決めて取り組んでも、目的を達成する見込みがさっぱり立たなくて途中で諦めなければならないことの方が多いのが実情でしょう。自分の能力や努力だけではどうにもならず、先の見通しが立たない八方塞がり状態に陥る。そんな時、それを『どう終わらせるか』を考えることになります。

現実を直視できるか

狙った結果を出せる兆しが見えず、生き詰まってしまっていることを続けていくのはキツいものがあります。それが自分の人生を賭けるくらいの覚悟で取り組んだ大きな挑戦だった場合、狙った結果は手に入らず、挫折で終わることを悟ってしまうと、呆然とした気持ちにもなります。気分は晴れず、悶々とした日々を送ることになるかもしれません。

終わらせ方が下手な私

私には、単なる思いつきや安易な考えで何かを始めてしまい、何のために、いつまでにそれをやって、最終的な目標は何なのか、の掘り下げが甘いことが多い、という欠点があります。

根本的に重要な所が突き詰められていないので、ゴールのイメージが不明確で、時間軸 ~いつまでに成功するか、駄目な場合はいつ見極めるか〜 もぼんやりとしたものになりがちです。目指す目的を喪ってしまっているのに、軌道修正が出来ずに惰性的に続けている…というケースも多いのです。

疑問を感じながらも、コツコツと継続出来る粘り強さは、見方を変えれば長所と言えるかもしれませんが、「どう終わらせるか」を考えることから逃げて、闇雲に突き進んでいては、自分が本当に目指す道からは遠ざかるばかりです。

どう終わらせるか? に真剣に向き合う

最近は、これまで継続してきた幾つかのものを、~noteは別ですが~ どう終わせるかということに思い悩む時間が増えています。

習慣ってこれまでの生活の積み重ねの中で、自然に身に付いてしまっているものなので、なかなか断ち切れません。「どう終わせるのか」は逃げてはいけない重要なテーマです。

今終わらせることを考えている対象は、時間や環境や他人のアドバイスでは解決しません。最終的には私の決断次第です。責任重大ですが、逃げずに撤退プランを練ります。

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