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穏やかさって大事だな

本日のnoteは、らしくないのですが、ほっこりした内容をゆる~く書きたいと思います。気分を記録に残します。

私の大切にしているもの

私が大切にしているものの上位にランクするのが『穏やかな心』です。

『穏やかな心』とは何か? 私にとって心が穏やかな状態とは、ニュートラルな状態です。白いキャンバスが心の中に広がっているイメージです。私の力不足で、言語化すると陳腐な感じです。

日々起こる出来事にリアクションして、心が上下左右に揺れてしまうのはいかんともし難いものがあります。何の変化もなくただ平穏に過ごせればいいとは思っていません。

ただ、心が穏やかな状態=ニュートラルな状態は、きちんと覚えておいて、必ずそこへ戻ってこれるようにしたいと思っています。そして、独り善がりに評価せず、定期的に他人の目でチェックしてもらって、調整することも大切です。自分が気づかないうちに、ニュートラルの位置がずれて、歪んだ状況になっていることが往々にしてあります。

穏やかではいられない場面だって重要

矛盾しますが、四六時中、心が穏やかな状態であれと願うのはナンセンスです。そんなことは望んでいません。波乱万丈な経験は、人生を面白くする、という意見を肯定します。

ビジネスの世界では、甘えた態度や心構えは通用しないし、目まぐるしく変化する状況に合わせて対処することが求められます。シビアな世界だと覚悟すべきです。ゆるい空気の中にも緊張感は必要です。

厳しい世界に身を投じる覚悟を決めずに、無防備で戦場に出ていくのは無謀な行為です。その責任から逃げるのは卑怯な態度です。最終的には自分も周囲の人も傷つけてしまうことになります。

ジョブズの穏やかさって?

先日感想文を書いた映画『スティーブ・ジョブズ』には、ジョブズの心の変化が描写されるシーンが数多く登場します。

その一つが、若い頃一緒にインド旅行をした親友を切り捨てるシーンです。話がしたいという友人をレストランのランチに呼び出し、別のテーブルで待たせている間に、弁護士や経営パートナーを相手に「無能な奴に株を渡す必要はない」と冷酷に宣告します。

その友人はジョブズに対し一言も非難のことばを発さないものの、失望した表情でその場を去り、その後、株式上場が決まり得意満面で会社にやってきたジョブズを、冷ややかに見つめながら苦虫を嚙み殺したような表情で会社を去っていきます。内心の葛藤を多少は抱えながらも背を向けるジョブズ。それぞれ別の人生を歩むことが決定的になった訣別の瞬間が描かれます。

その夜、共同創業者のスティーブ・ウォズニアックから詰問され、「変わったんじゃない、成長したんだ」と呟く場面に、私は悲しい気持ちになりました。こういうのが成長ならば、私は嫌だな… と心の底から思いました。

同時に、そう思ってしまった私は、自分の野望と自己の成長願望を優先し、一緒にいるメリットのなくなった人を切り捨て、前に進み続ける勇気はないな、組織のリーダーを務める才覚はないな、と思いました。

心穏やかに冷酷なことをやっていることもある

私のように自分の心の穏やかさを重視する人は、逆に他人にとって不都合で冷酷なことを平気でやってしまう危険も孕んでいることを知っておかないといけません。

他人がこうあって欲しい、と願っているであろう私のイメージを受け容れて、時に嫌だな、辛いな、本当は違うのになあ、と思いながらも周囲に迎合してきたから、生き延びてこられたのも事実です。

稚拙ながら、処世術や印象操作も幾度となく使ってきました。私にカリスマ性や指導力や後ろ盾があったらこんな苦労いらないのかも…… と妄想に駆られた時もあります。

自分が「これくらいはいいだろう」と我を張ったことで、見事に人が去っていったことは一度や二度ではありません。私なりの信念を貫こうとしたり、私に貼られたレッテルを剝がそうともがけば、周囲と軋轢が生まれます。その状況に耐え、跳ね返そうとする過程で、心はどんどん乱されていきます。

それが生きることなのでしょう。だから、心の穏やかさって大事だなあと思っています。心の穏やかさを求める人は、自分のことは自分で守る、という強い信念も必要なんだ、と思います。

書き進めるうちに、ゆる~くはない内容になってしまいました。

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