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負け戦から小さな勝ちを拾う生き方

今日は、快晴の一日でした。昼間はずっと内勤仕事で外へ出ていなかったので、体感していませんが、典型的な初夏の陽気でした。例によって、夕食を済ませた後は、YouTubeを観たり、ネット検索したり、ダラダラと過ごしていたら、23時になっていました。本日は咄嗟に思いついた『負け戦から勝ちを拾う生き方』というテーマで掘り下げてみたいと思います。

勝算のない勝負はしない

私は生来負けず嫌いです。競争や勝負事に負けると、自分の全人格を否定されたような気分になり、激しい屈辱感に苛まれます。負けるのが嫌いというか、負けることで味わう環境の変化やこみ上げてくる惨めな気持ちへの耐性がないので、競馬・競輪・競艇などの賭け事はやりません。カードゲームや麻雀、パチンコ、ゲームセンターのコインゲームなどの日常に潜んでいる娯楽からも極力距離を置いてきました。負けると感情が制御できずに取り乱してしまうリスクがあるし、そんな醜態を見せたら、人から敬遠され、一生の汚点となるので、誘われても断る口実にしてきました。

競争の世界に身を投じるのは、大学時代のホッケーで終止符を打ったつもりでした。社会に出てから一切の競争を避けるのは無理ですが、出来ることなら、勝ち負けに一喜一憂するのではなく、自分が有利なポジションで超然と人生を歩んでいきたい…… というムシのいい願望を持っていました。納得できる理由があれば、人に頭を下げたり、さして重要性を感じない譲るべき所で負けた体を装うことは、それほど苦にはなりません。

負け戦にも活路を見出す

「勝算の無い勝負はしない」という強固な価値観を守りたい私でも、サラリーマンの身の上では、負け戦と判っている戦いに参加せざるを得ない場合が多々ありました。私の入社した会社が、業界内で”負け組”ポジションだったこともあり、大局的には負け戦であっても、その中からいかに活路を見出してミクロの戦闘で勝利を積み重ねるか、という仕事が多かった気がします。『弱者の戦略』を研究したし、そもそも「勝ち/負け」の定義とは何かを問うて、簡単には「負け」と判定して諦めないようにしてきた自負があります。したたかに、時に狡賢く立ち振る舞って、”完敗”しないようにもがく癖がついたように思います。

その経験と価値観は、今も生きていて、世間的な評価や常識に惑わされず、自分の居心地の良い環境、自分が好奇心を持って生きられる環境を求める希望は捨てていません。目先の目標は都度変更しても、人生や自分は諦めない、明日は必ず来る(Don't Stop Believing)と言い続けます。

敵は退屈とマンネリ

私の敵は、「退屈」と「マンネリ」です。困ったことに、これらは油断して漫然と日々を過ごしていると、すぐに襲撃してきます。これらへの対処方法は心得ているつもりですが、精神的・肉体的に疲弊していると、簡単に搦め捕られてしまいます。年々燃費が悪くなってきているので、自分を甘やかしつつ、手厚く自分を労わっていこうと思います。

私の人生、俯瞰的に見れば、負け戦続きです。小さな勝利ならば、何度も収めてきましたが、本当に大事な場面で勝利した…… という成功体験がありません。それでも、負け戦の中から何度も活路を見出してきました。毎度同じような結論になりますが、好奇心を喪わず、巡って来るチャンスを狙いつつ、地道に・誠実に・愚直に一日一日を生きるのがいいのだろうと思います。

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