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競争よりも安寧を求める心

本日は、心穏やかに過ごすことを切望した一日でした。今日は、簡単に現在の心境を纏めた日記風投稿でお茶を濁しておきます。

競争させられたくない

年柄年中ファイティングポーズの構えを崩さずに、誰かと、何かと、競争しあうような日々を過ごすよりも、緊張感が解けて、心が安寧な状態を求める気持ちが強くなっています。それは、退化であり、怠惰な姿勢だとしても、傷つけあうことが正当化され、争い事の絶えない状況よりは数段ましだと考えています。

競争の目的の一つは、優劣をはっきりさせ、参加者の序列を確定することにあります。その過程において、勝者と敗者を産み出し、時に殺伐とした空気感を醸成します。その緊張感やスリルを楽しいと感じる人もいるのでしょうが、私は最早そういった場所には興味を感じなくなっています。他者から評価されて、振る舞いを強制されるような環境には、極力距離を置いていたい、という心境です。厭世的な気分が強くなっているのでしょう。

自分にとっての安寧

では、私は、何を理想としているのでしょうか?このモヤモヤとした気持ちを説得力のある的確なことばに昇華して、伝えられたら楽なのですが、現在のところその技能を持ち合わせていません。

世の中には、ことばを自由自在に操る技巧をもつ魔術師がいて、そういう人たちの用いることばを参考にしながら、自分の貧弱な思考に少しずつ肉付けする作業を繰り返しています。「安寧」という境地には興味があります。問題は、「安寧」に到達する道筋を見つけられていないのと、その状態の保ち方も、手探り状態だということです。

私もこの年になってようやく、生き辛いという意味に思いを巡らせられるようになってきたのかもしれません。ここまで踏ん張って進んでこれたことは、それなりに凄いことなのかもしれません。

また、明日を迎える

今日という日は、私の人生にとって小休止的な役割を果たした一日でした。納得は出来ていませんが、決して無駄ではない一日だったと思います。

また、新たな明日を迎える準備をして寝ます。

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