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人生をすてないためのことば

本日無事に51歳と195日目、無職15日目を迎えることが出来ました。感謝!

生かされているという感覚

自分は何か運命的な力で生かされているのだ』という思いが年々強くなっています。誰かと出会うのも別れるのも、歓びも悲しみも苦しみも怒りも、襲ってくる予期し得ない自然災害ですら、運命的な導きで自分の身に降りかかってきているように思えてきます。

決して自助努力を否定する訳ではないのですが、時代の大きな流れの中で、自分は何か得体の知れない力によって居場所と役割を与えられている、と考えざるを得ない経験が増えています。

二毛作人生に何を植えるの?

運命に抗うことが難しいとしても、今の自分にできる最善の選択をすること、希望を喪わずに精一杯もがくこと、将来の理想を求めて茨の道でも挑戦し続けること、こそが自分らしく『生きる』ということなのではないか……

その確信を持って、敷かれたレールを時刻通りに走る列車に乗って運ばれていくような人生を変える決断をしました。自分を運んでいく列車には私の座るシートは用意されていないと感じたし、これから先、列車が走っていくコースも、到達までに見える景色もつまらなさそうでした。

長年考え続けて出した結論だし、「人生後半戦、二毛作目の人生をスタートするのだ」と意気込んでいたのは間違いありません。

ところが二毛作目に何を育てるのか…… 依然として決定打がありません。威勢よく会社を辞めた割に、ここまで殆ど前に進んでいないので、罪悪感、後ろめたさが重くのしかかってきます。暗い未来をイメージしてしまい、気分が塞ぐ時もあります。

そんな時、子供の頃に心に刻まれた励みになることばを思い出しました。

君原健二氏のことば

1968年メキシコ五輪のマラソンで銀メダルを獲得した往年の名ランナー、君原健二さんが、『すててはいけない 君の人生』という公共広告機構のCMの中で語っている言葉があります。

私は苦しくなると よく止めたくなるんです。
そんな時、あの街角まで あの電柱まで あと100mだけ走ろう…
そう自分に言い聞かせながら走ります。

君原さんは、40回出場したマラソンレースで棄権ゼロという偉大な記録を持っています。42.195㎞の過酷なレースを40回も走って棄権が一度もないというのはとてつもなく凄いことです。

CMの最後は、疲れたら歩いてもよい、休んでもよい、しかし最後まで走り続けなければゴールは見えない という言葉で締め括られます。

小学生だった私は朝学校にいく支度をしながら、このCMを何度も何度も目にし、繰り返し繰り返しこの言葉を聞きました。

あと少し、あと少し、休みながらでも走り続ける…… 今こそ噛み締めるべき教えのように思います。



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