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さようならを言う準備

本日は、「さよならを言う準備」という意味深なタイトルで、これから先10年位の間に起こりそうな事態を想像しながら、自分が今後進みそうな道のラフスケッチを描いてみたいと思います。

気候変動の問題

2019年の気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change…IPCC)の報告書によれば、今後10年間のうちに温度上昇を抑える為の決定的な手を打たなければ、地球は取り返しのつかない事態に陥る、ということになっています。あれから3年が経ち、日本国内でもさすがに気候変動問題に対する問題意識は高まった気はするものの、日常生活に劇的な変化が訪れているとまでは感じられません。

私自身、このテーマについてしっかり語れる程の見識も意見もありません。ただ、漠然と「やばいことになるんだろうなあ……」とぼんやり考えて、備えているに過ぎません。毎年のように世界各地や日本各地で頻発する自然災害の報道に触れる時に強く意識し直すものの、これまで被害の当事者になることを免れてきたせいか、喉元過ぎれば…… で、すぐに忘れてしまいます。

実際の所、後10年以内に地球環境が酷い状態に陥る可能性は、かなりの確率だろうと覚悟しています。異常気象による社会混乱は「起こる」という前提で、今後の人生を設計していく必要があると認識しています。

さよならする人は増えるだろう

10年後、私は64歳になっており、今以上に気力も体力も忍耐力も衰えていることでしょう。私が考えている人生設計は72歳までで、そこから先はサッカーのインジャリータイムのようなものになる予定です。10年後は、そのライフプランに沿って、この世を去る本格的な準備を開始する必要がありそうです。自分の一生もあっけないものだ…… という気持ちが湧いてきます。

この10年の間に、望むと望まざるとにかかわらず、さよならをしなければならない人の数は格段に増えていくことでしょう。自分にとって交わっておきたい人とは、面倒がったり、億劫になったりする気持ちを抑えて、自分から接する努力を今からすべきなのかあ、と考えたりします。自分からさよならするのは苦手です。人間関係の断捨離を叫ぶような不遜なことは考えたくありません。元々強くはない関係が殆どなので、フェードアウトか自然消滅で十分です。既に、以前交わる機会のあった多くの人の記憶から、私の存在など消えているだろうと推測しています。

息子の将来

10年後、息子は22歳になっています。私の唯一の懸念事項です。成人する年齢ではありますが、厳しい世の中を渡っていけるだけの胆力とサバイバル力が身についているか、甚だ不安な気持ちになります。”息子が生まれてこれてよかったと思える世界に導くこと”を私の人生後半戦のライフワークにする、と覚悟を決めました。このことは、私が「人生の大きなターニングポイントが訪れるかも……」と予感してきた2022年10‐12月期の、最大の収穫かもしれません。

未来が開かれていることは、必ずしもよいことばかりとは限りません。私は、前半生に後悔はしていないものの、そこそこ順調に進んでいたルートからドロップアウトすることを怖れて、澱んでいた時期があったことは紛れもない事実です。その恐怖心が邪魔をして、自分の信念を貫けずに中途半端なまま生きてしまったかもしれない…… という複雑な気持ちがなくはありません。

「息子」を不動の北極星に見立てて、生きる指針とすることは、悪い選択ではないと思っています。自分の為に頑張ることにはなかなか馬力が出せなくても、他人の為ならば、素直に力を発揮できそうです。これまでの自分に向き過ぎていたベクトルを変針させるいいタイミングです。これまでの自分にも「さよなら」を言う準備を着実に進めていこうと思います。


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