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【追悼】今宮純さん

日本のモータースポーツジャーナリストの草分けとも言うべき、今宮純さんが亡くなりました。享年70歳。突然の訃報に接し、気持ちの整理が難しくなっています。早過ぎる死です。

モータースポーツへの溢れる愛情

今宮さんが日本にF1文化を根付かせた最大の功労者の一人であることに異論はないと思います。

ソフトな語り口の中にも、モーターレースへの愛情が溢れ、レースに携わる全ての人達へのリスペクトが感じられました。関係者への綿密な取材と豊富な知識に裏打ちされた丁寧なテレビ解説が好きでした。

ピットレポートで活躍した「川井ちゃん」こと川井一仁氏とのコンビは絶妙で、日本でのF1人気の盛り上げに一役も二役も買ったと思います。

セナの死の夜を思い出す

私は20代の半ば、F1をはじめとするモーターレース全般に猛烈に嵌まっていました。1980年代後半のF1ブーム時からずっと関心はありましたが、モーターレースに本格的にのめり込むようになったきっかけは、1994年5月のF1サンマリノGPです。アイルトン・セナがタンブレロコーナーでクラッシュして事故死したあの痛ましいグランプリの印象が鮮明です。

あの日は実家に帰省して、ひとり深夜のフジテレビの中継を観ていました。この週は魔物いるのかと思うくらい、アクシデントが相次いだ中、決勝当日を迎えました。コンクリートウォールに激突し、マシンが粉々になる瞬間、「まさかセナが……」と衝撃を受けました。

この時、解説者としてその場にいた今宮さんが、涙を必死に堪えて「それでもF1レースは続いていくんです」と絞り出した瞬間のことは今も忘れられません。

F1の魅力を伝え続けてくれた人

その後熱心なF1ファンだった友人に誘われて行った1994年10月のF1鈴鹿GPで、私のF1熱は一気に高まりました。鈴鹿ウェザー特有の猛烈な雨で2ヒート制になるほどの過酷な状況下でのレースでした。

その年の年間王者になったベネトンフォードのミハエル・シューマッハーの猛烈な追い上げを、ウイリアムズルノーのデーモン・ヒルが摩耗が限界に近いタイヤで懸命に抑え込んで優勝したレースです。生で体験した疾走するマシンの爆音とスピード、観客の熱狂に圧倒されました。

F1の魅力にのめり込んでいく私にとって、今宮さんは、惜しみなく知見と情報を授けてF1の世界に誘ってくれる善良なナビゲーターというべき存在でした。F1=今宮さんという構図は私の中で今も不動です。今宮さんのポジションを継承する人はちょっと思い付きません。早過ぎる死、改めて本当に本当に残念です。合掌。

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