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「覇気がない」ということ
「覇気がない」という言葉があります。本日は、その意味を掘り下げて考えてみます。
覇気がない状態
まず、「覇気がない」の辞書的意味を調べておきます。
● 気分や様子、周囲の雰囲気などが暗く落ち込んでいるさま
● 積極的意気を欠くさま
● 度胸や勇気に欠けているさま
● 言動や外見が老人のようであるさま
● 気持ちがしっかりしていないさま
● 心の強さが不十分であるさま
● 性質が後ろ向きで卑屈なさま
● 人の上に立とうとする強い野心、野望がないさま
マイナス気味の説明が並びます。このため、「覇気がない人」は、通常良い意味では使われません。
覇気がない人の主張
現在の私は「覇気がない人」になってしまっている自覚があります。内面からふつふつと燃え上がってくる情熱がなく、何かに没頭している、闘志が沸いてくる、という状況にもなっていない、と感じています。
自分のエネルギーが足りていない状態の時に、エネルギーが充満している空間に身を置くと、(ごく稀に周囲の熱気につられて、自分も上がる場合もあるのですが……)その場の濃密な空気に圧倒されてしまって、気持ちが萎縮してしまう機会が増えています。
元々何事もマイペースで進めたい性分なので、周囲から競争に勝つように煽られたり、誰かと比較されて奮起を促されたりするのが大嫌いです。自分のペースとリズムを崩されない環境に身を置きたいという気持ちが、年々強くなってきています。もともと潜在的に持っていた資質である「覇気がない」という状態が、ここ数年で顕著に悪化・進行しているのだと思います。
覇気がないなら、ないなりに
とはいえ、そんなに深刻な危機感は抱いていなくて、今では、自分に覇気がないことを肯定して、身の丈に合わないことはせず、無理せずにやっていこう、とすら思っています。決してより良い方向へ意識を向けて、現状改善することを諦めた訳ではありません。しかし、気力が弱っている時の無理は、不思議と悪い結果を引き寄せます。今は、大きな困難を伴うような難題に立ち向かう自信を喪っている時期なのかもしれません。
このような精神状態にある時に、奮起を煽り立てるのは、危険だと感じています。自分を痛めつけるだけの鍛錬とか修行とかは極力避けて、自分が穏やかな気持ちを維持できるように、より一層の神経を使うつもりです。
今日はちょっと日中の仕事で神経をすり減らして疲れてしまったせいか、凝った記事を書く時間と気力が無く、思いつきの雑記となってしまいました。前向きな内容でなくてすみません。
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