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峠を歩く①:三増峠 2020/7/11

先日のnoteで宣言した通り、武田氏と北条氏の合戦の舞台になった三増(みませ)峠を歩いてきました。天気予報では来週も雨模様が続きそうだったので、曇天だったものの本日決行してきました。

三増峠の戦いとは?

武田氏の史書『甲陽軍艦』によると、三増峠の戦いは1569年10月、武田信玄軍と北条軍が激突した合戦です。

同年9月、北条領への進撃を開始した武田信玄軍は、10月1日には北条氏の首領、北条氏康の居城、小田原城を包囲します。ところが信玄は、「拠点固守」を基本戦術に堅牢な小田原城での籠城戦を展開する氏康を攻め崩すことは不可能と判断し、10月5日には包囲をとき、撤退を開始します。小田原から甲府への退却経路には、「甲州道」「小仏道」「御坂道」の三つのルートがあり、この時の信玄は「甲州道」の三増峠越えを選択します。

北条軍はこの行動を読んで、氏康の息子の氏照(甲州道守備軍)、氏邦(秩父方面守備軍)が三増峠付近に着陣し、10月6日には武田軍と北条軍が対陣。10月8日より本格的な交戦となります。

 この合戦、武田軍の猛将・山県昌景の活躍などもあり、武田軍の勝利とされています。但し、武田氏は北条綱成率いる鉄砲隊の攻撃で重鎮の浅利信種がこの戦いで戦死しており、勝者である武田軍にとっても失ったものは大きかった、という評価もあります。『北条五代記』など北条側史料でも、北条軍の敗戦は認めているものの損害は軽微だったとしています。

合戦跡を訪ねる… 以降は雨で挫折

当初は、史跡・三増合戦場から三増峠と志田峠を歩いて回り、相模原の方に抜けて温泉につかって帰ってくる予定でいました。自宅からは電車とバスを乗り継いで約2時間くらいの距離にあります。

ところが、バスを三増バスセンターで降りて歩き始めてしばらくすると、ぽつぽつと雨が降り始めました。三増の三叉路から三増合戦みちに入る頃には、激しい雨になってきました。

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合戦跡までは何とか歩き切りましたが、ここから三増峠の碑までは7~8㎞あります。しばらく雨宿りをしていましたが、この雨の中を坂を上っていくのもちょっと難しい状況に思えたので、残念ですが諦めて来た道を引き返すことに決めました。

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三増合戦みちの途中にある神奈川中央養鶏農業協同組合が運営する新鮮タマゴの「卵菓屋」でおやつを買い、ポットに入れて持参したコーヒーを飲みながら、ゆっくり引き返す途中に幸い雨は上がりました。

バスに乗って、本厚木駅へ出た後は、小田急線・高座渋谷駅へ移動。駅そばのビルにあるスーパー銭湯で汗を流し、帰路につきました。今回の挑戦は中途半端で終わってしまいましたが、空気だけは味わうことができ、満足できました。次回は好天の中をゆっくりと歩きたいものです。


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