「仕方ない」をポジティブに捉える
10月もはや後半となり、2023年も残り70日余りとなってきました。ぼんやりと暮らしていると、1年の経過はあっという間だなあ、と痛感します。本日は、『「仕方ない」をポジティブに捉える』というテーマで、発想の転換を図ります。
「仕方がない」は良く使うワード
私は、普段「仕方ない」(あるいは「しょうがない」「しゃあない」)というワードを頻繁に使います。実際に口にする場合だけでなく、頭の中に真っ先に思い浮かんだもののTPO的に不適切だと判断して口にするのを自重した場合も含めれば、「仕方ない」は日常用語でかなり上位にランクされます。というか、私の毎日は、「仕方ない」と思うことの連続で埋め尽くされています。
自分では、何か問題や予期せぬ不都合が起こった時に、「仕方がない」という発想をしてしまうのは、よくないのではないかと思ってきました。イメージとして、他力本願的だし、後ろ向きで諦め感が漂っている感じがするのです。何でもかんでも「仕方がない」で済まそうとしがちな自分は、物事に執着がなく、大切なことからいつも逃げている卑怯でズルい生き方をしている人間なのではないか、という後ろめたさがありました。
ただ、本日偶然ネット上で出会った、東尾修氏に関する記事を読んで、「仕方がない」を基軸に据えた生き方は、必ずしも否定的なものではなく、人生を愉しむを逆転の発想で捉えてみるのもいいものだと思えました。
実際、「仕方ない」ことばかり
振り返ってみると、本当は気が進まないのだけれど、「仕方ない」と割り切ってやってみたら、それまで気付いていなかった楽しみや思いもかけないおもしろさを見出しせことは、一度や二度ではありませんでした。その感覚は貴重な糧となって、私の人生経験として蓄積されています。
たとえば私にとって、仕事をすること、働くこと、お金を稼ぐこと、は、やらないと「仕方ない」と位置付けられるものです。「仕事が生きがい」と、これまでに一度も感じたことがないとまでは言いませんが、仕事とは、自発的に取り組むものではなくて、義務感として取り組むべきもの、というのが大前提としてあり、その中でいかに楽しむか、面白いと感じられるものを見つけだすか、という捉え方をしていた気がしています。
東尾修氏の「仕方ない」に共感する
この記事で語られている東尾修氏の姿勢や言動、考え方は、大いに参考になりました。
プロ野球通算254勝を上げた大投手であり、西武監督も務め、各界に知己も多いであろう東尾氏のようなレジェンドと比べること自体が僭越甚だしいのですが、人生についての私の価値観と非常に近しいものを感じて、強く勇気づけられました。「仕方ない」と割り切ることは、必ずしも全てを諦めて、ふらふらと流されることを意味しません。
「仕方ない」と受け容れてから、「さてどうするか」と頭をフル回転させて、面白くなる方向に自分を誘導する、楽しくやれるように工夫する、最悪を避ける知識を身に付ける、やり過ごす習慣を作る、などやれることは一杯あります。無理矢理ポジティブに転換すればいいのだと思いました。
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