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私の電車への思い

本日は、『私の電車への思い』というテーマで考えてみます。

電車は好きだが、マニアではない

最初に結論を言うと、「電車は好きだが、マニアではない」というのが、私のスタンスです。

電車は、子供の頃から身近な存在でした。育った家から、JR(当時は国鉄)や私鉄の駅までは歩いて10分位の距離でしたから、電車に乗る機会も結構ありました。

家族で行動する時は、父の運転するクルマで移動することの方が多かったし、小学校・中学校へは徒歩通学、高校へは自転車通学をしていたので、電車を日常使いするような生活ではありませんでした。電車に乗るのは、まだ非日常的な体験でした。

初めて電車通学するようになり、電車がより身近な存在になったのは、大学生になってからです。電車通学の最初の頃は、新鮮な気持ちがありました。高校時代に別々の道に進んだ地元の友人たちとたまに駅でばったり再会するのは楽しい経験でした。しかし、朝の一限目の授業に出るには、通勤・通学のラッシュにモロにぶつかります。しばらくするとこの日常が苦痛になっていきました。

そんな生活から二年が経過した後、三年生からは神戸に下宿をしたので、大学へは原付バイクで通うようになりました。電車に乗ることが非日常の生活に逆戻りとなりました。

電車は【必要悪】の選択に

会社員になると、通勤で再び電車に乗る日々が始まりました。私には「移動好き」という性分があります。大学の二年間を除いて私の移動手段は、徒歩・自転車・原付バイクが中心でしたが、会社員になってからは電車がその地位に座ることになりました。

住んでいた独身寮から最寄り駅までは、徒歩5~6分と恵まれていました。しかし、首都圏の通勤ラッシュは凄まじく、異常だと感じました。このような狂った状態を平然と受け容れている人達は、何かおかしいのではないか、と本気で思いました。

私の配属された部署はフレックスタイム制で、10:00出社が認められていました。最初の数週間こそ、多少意識して早めの出社を心掛けていましたが、あっという間に10:00出社へと馴染んでいきました。

駅へ行く前に時刻表をチェックしなくなったのは、首都圏へきてからです。実家で暮らしていた頃は、台所の食器棚の側板に貼ってあった時刻表を確認してから、家を出るのが当たり前でしたから、これは大きな変化です。

ただ20代までは、敷かれたレールの上を、決められた時刻表で走る電車よりも、自分の好きなルートを、好きな時間に走らせることができるクルマでの移動の方が断然好きでした。電車の利用は【必要悪】くらいの感覚でした。

電車の経験が積もっていく

電車での移動が苦にならなくなっていくのは、アメリカから帰国した2005年以降で、本格的に電車での移動がむしろ楽しいと感じるようになってきたのは、息子誕生後のここ10年くらいです。電車に対する向き合い方は、時の流れとともにゆっくりと変化していきました。

アメリカはクルマ社会で、私の暮らしたデトロイト近郊もそうでした。電車に乗る機会なんて、ニューヨーク、ワシントンDC、サンフランシスコの市街地か空港内のターミナル移動の時くらいしかありませんでした。どこへ行くにも、クルマ+飛行機+クルマ(レンタカー)です。移動手段としての飛行機が身近になったのは、この時の経験が大きいです。

アメリカに居た四年間で、クルマの運転は一生分しました。日本では自家用車にかかるコストが莫大なのを知ってしまい、少なくとも首都圏で暮らすなら自家用車は不要と判断しました。これは我ながら、ナイスな判断だったと思います。

休日の移動も電車が中心になっていきました。よく考えてみると、私はこれまでの人生で、東京都三鷹市の社宅に住んだ約半年とアメリカに住んだ約四年を除いて、電車の最寄駅から徒歩10分以内の場所に住んできました。今の自宅も、速足で歩けば5~6分で最寄駅に着きます。

日本 ー特に首都圏ー で生まれ育ち、ずっと暮らしていると電車のありがたみを忘れます。日本の鉄道システムは本当に優秀な交通インフラですし、日本中に張り巡らされた鉄道網は貴重な財産だと思います。

先人が遺し、築いてくれたこのありがたい財産を目一杯使って、人生を楽しんでいきたいと思います。

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