ニイタカヤマノボレ
本日も連日の日記です。
PCクラッシュから一夜明けて
昨夜突如見舞われたPC愛機のクラッシュにより、心が折れてしまい、失意のまま寝ました。今朝、冷静にバックアップ設定に沿ってプログラム修復を試みたところ、無事に私の愛機は使用できる状態まで回復しました。焦って狼狽してしまい、大変恥ずかしい失態でした。でもよかった、と心の底から喜んでいます。
ただ、液晶が損傷している可能性が大で、画面のチラチラはまだ回復していません。PCドックに持ち込んで、指示を仰ぎます。
太平洋戦争開始から80年
昨日はその動揺が無ければ、『太平洋戦争開戦から80年』という記事を書くつもりで準備を進めていました。一日遅れで軽く触れたいと思います。
本日のタイトル、"ニイタカヤマノボレ"は、1941年12月2日、連合艦隊旗艦、戦艦長門の艦橋から発せられた真珠湾攻撃決行を正式に下す暗号文のことです。連合艦隊司令長官は、山本五十六大将、真珠湾攻撃部隊の総司令官は、南雲忠一中将です。打電を受けた南雲中将の本音は、「マジでやるのかよ…… 正気か……」というようなものだったと言われています。この決断は、日本の運命が動く歴史の分水嶺だったように思います。
”ニイタカヤマ”は、当時は日本領であった台湾に実在する新高山、現在の玉山(ユイシャン、Yù Shān)のことです。標高は3,952m.... すなわち霊峰、富士山の3,776mを凌ぐ当時の日本で一番高い山でした。
真珠湾奇襲の是非
その後の展開はよく知られています。1941年12月7日(現地時間)未明に決行された真珠湾奇襲は、日本から見れば大成功を収めます。湾内にある基地に停泊中のアメリカ太平洋艦隊の主力を破壊しました。空襲部隊総指揮官、淵田美津夫大佐の有名な『トラ・トラ・トラ(奇襲に成功せり)』はこの時に発せられたものです。
ところが、在米国日本大使館(ワシントンDC)から米国政府に対する宣戦布告の連絡が遅れた為、アメリカ国民から『日本は、騙し討ちをする汚い奴ら』という反感を買うことになります。ここから、泥沼に入り込み、日本にとっては悪夢が四年後にやってきます。
大使館の思い出
2019年の夏、私は前職最後のアメリカ・ワシントンDC出張の際、在米日本国大使館の中に会議の目的で入れて頂きました。今は旧舎扱いで、現在の執務には使われていない建物なので、当時の面影のまま保存されていると大使館員の方から説明を受けました。「ここが駐米日本大使(戦争開始時は、野村吉三郎元海軍大将)の執務室だったところです」と聞いた時は、歴史好きの血が騒ぎました。
ここでぎりぎりの検討がなされていたのだなあ…… という感慨が湧きました。もはや二度と足を踏み入れることのできない場所ですが、今ではいい思い出になっています。
サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。