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日の丸を見ると思うこと

2泊3日の横浜への一時帰宅も今日で終わりです。妻と息子にしばしの別れを告げて、松本へと帰る電車に揺られています。ふと思いついた、日の丸について、私がこれまで抱いてきた思いを言語化してみたいと思います。普段はあまり深く考えないテーマで着地点が見えませんが、スタートします。

日の丸に感じる荘厳な気持ち

"日の丸"ということばから真っ先に連想されるイメージは、やはり日本の国旗です。白地に赤く、日の丸染めて…… のあれです。

もしかしたら、このnoteを読んでくれた方に誤解を与える可能性がありますが、私は子どもの頃から現在に至るまで、日の丸の国旗に対して特別な感情を抱き続けています。目にすると、荘厳な気持ちというか、気が引き締まるというか、ポジティブに捉えることが多いです。

祭日に街を走るバスのフロントに国旗を飾ってあるのも、スポーツの日本代表のユニフォームに日の丸が縫われているのも、総理大臣や官房長官が日の丸に一礼してから演壇に上がる習慣もいいんじゃないのと思っています。

今年は東京でオリンピック/パラリンピックが開催されました。表彰台に上がった選手が、掲揚される日の丸を見上げる姿は、実に感動的でした。

日の丸はカジュアルなものではない

日の丸国旗に対して、私のような人ばかりでないことは理解します。政治的な意味合いを感じて忸怩たる思いをする方もいるでしょう。太平洋戦争を経験した方の中には、戦時中や敗戦の苦労が思い出されて複雑な思いを抱いてしまう人もいらっしゃると思います。日本国旗は、なかなかカジュアルに扱えないものだという気がします。

アメリカに行くと、びっくりするくらいアメリカ国旗(the Stars and Stripes)を見ます。こんなところにも、あんなところにも、至る場所で国旗がはためいていて、景観に自然に溶け込んでいます。これが日本だとかなり違和感を感じさせる気がします。

日の丸を背負うという緊張感

スポーツの日本代表選手は、しばしば「日の丸を背負う」という表現を使います。日本を代表して戦うというのは特別な緊張感と重みがあり、背筋が伸びるといいます。お恥ずかしい話ではありますが、私も幼い頃は、いつか日の丸を背負って戦うような舞台に立つことに憧れていました。

残念ながら力及ばず、そのような機会に恵まれることはついぞありませんでした。それでも、仕事で海外出張する際には、訪れた国で日本人として恥ずかしくない振る舞いを、という気持ちは常に持って振る舞うよう意識してきました。そんな海外の国で目にする日の丸には、一段と感慨がありました。この程度の感覚は、健全な愛国精神の発揚だろうと思います。


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