忍び寄る変化を感じながら
本日は夕方に宮崎県の日向沖を震源とする最大震度6弱の地震が発生しました。現時点で報道されている所では、幸いにして被害は軽微のようで津波警報も解除されたようですが、「巨大地震注意」が発表されました。いずれ発生が確実視されている南海トラフ地震が現実味を帯びて来ました。
8月の声を聞いてから、為替や株式市場の大変動もあったし、慌ただしい状況となってきました。どうやら激動の時代をどうやってサバイバルするか、意識せざるを得なくなってきました。本日は、『忍び寄る変化を感じながら』というテーマを置いて考えてみます。
時代の変わり目を前に気力減退気味
世の中は自分の思うようには進まないものですが、忍び寄ってくる大変動を乗り切っていくには、今の私は気力が減退気味です。社会の第一線からは退いている(一線にいたことなんてあったのだろうか?)ので、自分で道を切り拓く武器は余り持ち合わせていません。地道に、丁寧に、したたかに、社会の底辺でもがくのが基本戦術であり、選択肢は豊富にありません。
村上龍氏がとあるエッセイに「50超えて、周囲から尊敬されていないのは、なかなかしんどい人生だ」という趣旨のことを書いていましたが、実感します。それはそうなのですが、現在の居心地の良い今の生活を愛でる気持ちは変わりません。歯を食い縛って上昇志向を維持する態度は、私の流儀に反します。
クワイエット・クイッティング
コロナ禍の頃に、『クワイエット・クイッティング(Quiet Quitting 静かな退職)』ということばがちょっとした話題になっていました。クワイエット・クイッティングとは、今の勤務先は辞めないが、必要最低限の仕事しかしない働き方を意味する用語です。
思い返せば、私が前職に就いていた最後の2年くらいは、そのようなスタイルで働いていた気がします。ユタ州立大学経営学部で、従業員の離職リスクの判別方法を研究している、ティム・ガードナー准教授によれば、離職しそうな従業員には以下の兆候が見られるようです。(2016年の研究)
この記事を目にした時、私も同じような振る舞いをしていたなあ、と思いました。頻繁な早退こそしていなかったものの、社外会議の終了後には会社に戻らずに直帰する回数が多かったし、可能な限り海外出張を組んで、職場に行かない時間を望んでいたことは確かです。「どうせ頑張っても会社は報いてくれない」「上位役職者からのサポートや称賛が得られず、自分が評価されている、心が通じ合っている、という実感が乏しい」というのも、その通りでした。私は、ブームの先を行ったていたのかもしれない、と思いました。
日本語だと、「働かないおじさん」みたいな品のない用語が充てられ、イメージがよくありません。そういう揶揄をするから、当事者は意欲的に働く気力を奪われていくような気もします。
因みに、現在は、職場の為には貢献したい、という気持ちは失っていません。周囲の人たちにはよくしてもらっているし、自分の裁量でやれる分は誠心誠意やるように心掛けています。変われば変わるものです。地道にやるのが一番ですね。
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