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闘わなければならない時

本日は『闘わなければならない時』というテーマで考えてみます。

車田正美の教え

『リングにかけろ』『星闘士星矢』などで知られる漫画家の車田正美氏(1953/12/6-)が、単行本の帯に書いていた話が強烈に記憶に残っています。それは、

普段はヘラヘラしていても、男には真剣に闘わなければならない瞬間が二つある。
一つは、自分の愛する人を守る時……
もう一つが、自分が命をかけて取り組んでいるものにツバを吐くようなマネをされた時……
そんな場面に遭遇しても、黙って愛想笑いしている男に何の価値もない、

という話です。出番が来た時に闘えないような男は、そもそも生きている価値がない、という強いメッセージでした。

「闘う」の意味

私はこの話に強く感銘を受けていて、長らく心に止めていました。そういう場面に遭遇した時には臆せず立ち向かう、その場面に備えて覚悟と準備を怠ってはいけない、と思っていました。

基本的にケンカや争い事や揉め事は嫌いです。人と争って、傷つけ合うような場面や気まずい状況は極力避けたいと思っていますし、抗争になることを避けてきました。「まずいことになりそうな予感がする……」と自分のセンサーが働くものには手を出さないようにしてきました。負けるとわかっている勝負にはさっさと身を引いて、敗北すら避けてきました。

たたかう【戦う/闘う】
1 武力を用いて互いに争う。戦争する。
2 互いに技量などを競い、勝負を争う。競争する。試合する。
3 思想や利害の対立する者同士が自分の利益や要求の獲得のために争う。4 苦痛や障害を乗りきろうとする。打ち勝とうと努力する。
5 互いにたたき合う。
- デジタル大辞泉より抜粋

「闘う」とは、"命懸けで勝負に挑む"の意味だと思います。負ければ、自分の命や社会的地位を抹殺されるかもしれないが、どうしても立ち向かわねばならない時に使われるのが「闘う」ということばだと重く考えています。

「闘う」ということばは日々溢れている気はするが、実は闘ってない気もする

組織や人を鼓舞する目的で「闘え」というメッセージが発信される機会が少なくありません。あまりにも頻繁に目にするので、「闘う」の意味が随分と軽くなっていると感じます。「闘う」ことを、他人に対して無責任に煽動する行為や言動は罪です。

安全地帯にいる誰かから「闘う」ことを強要されるのは嫌なものです。そんな風潮が蔓延すると、巧妙に「闘わない」を選択する人が増えていくのは必然です。誰も好き好んで貧乏クジなんて引きたくありません。

中島みゆきの名曲『ファイト!』にも、

闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう

と描かれます。”君”と”奴等”、どちらに感情移入できるかは言わずもがなでしょう。

避戦の技術

私自身は「闘う」ことを極力避け続けてきましたから、エラそうなことは言えません。私が、車田先生の言う二つのシチュエーションを経験していないと考えています。妻と子を扶養する為に仕事をしていたことを、「闘っていた」とまでは思っていません。

誰かの「闘え」という威勢の良い掛け声が轟き、屍は積み上がるけど、何も変わらないという光景を何度も見てきました。「闘う」対象も目的もぼんやりしているのに、命懸けの勝負に挑む意欲が私には沸きません。

私が大切にしてきた車田先生のことば同様、孫子先生の教えも大切です。「闘わない」勇気…… 避戦の技術を知って、無駄死にしないことも等しく重要な処世術だと今は思います。

とはいえ、「闘う」かもしれない準備は怠る訳にはいきません。それは国の場合も同じでしょう。日本国憲法の精神を貫くには、避戦の為のあるとあらゆる技術を研究し尽くすことが重要だと思います。誰かの覚悟の伴わない軽い言動や行動を引き金に、「闘う」ことになりませんように。

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