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孤独を巡る問題への一考察

本日も作業に没頭していたらこの時間になっていましたので、連日の送りバント投稿で「繋ぎ」ます。この時期は、どうしてもこのパターンになってしまいます。作業終了して解放されたら、もう少し濃度の増した記事に取り組みたいと考えています。格好悪くても諦めずに続けることの方に重要性を見出したいので、これまでも何度かテーマとして取り組んでいた「孤独」についての自由意見を記しておくことにします。

ある記事を読んで思ったこと

孤独は宗教みたいなもの……

これは、数日前に目にした記事でなるほどなあと思ったものからの抜粋ですが、そのまま素通りしてしまったので出所がわからなくなっています。記憶の断片から拾い出してきているので、細部は間違っているかもしれません。

日本では、高齢者や社会的地位の高い成功者らに顕著であるが、『孤独』を過度に美化する傾向にある、それはまるで宗教のようだ、という趣旨のことが書かれていて、成程その通りだなあ、と思いました。

私自身、どちらかと言えば孤独ということばにマイナスアレルギーはなく、楽しくない集団の中で群れて過ごすくらいなら、ひとりで気楽に過ごしていた方がよっぽどいい、という感覚の持ち主なので、その後に著書が述べた、孤独がいかに危険な状態であり、社会全体で対処すべき深刻な問題なのか、という説明に対して、諸手を挙げて賛成できたわけではありません。とはいえ、「孤独を過剰に美化するのはいかんなあ……」と意見を微修正する機会にはなりました。

長期の孤独はやはり耐え難い

思うに、孤独を推奨する人は、おそらく自分自身に選択権があって、「自分の都合や意向で孤独を選べる人」なので、「望んで孤独になった訳ではない人」に対して、適切な想像が働かないのでしょう。自分の意志で一時的にひとりぼっちで過ごすことを選んだとしても、望みさえすれば交遊関係の場にいつでも復帰できそうな人が「私は孤独が好きなんです」と主張するのを見ると、やっぱり違和感を感じてしまいます。

私は幸いにしてまだ経験はありませんが、長期の孤独はやはり耐え難いと思います。おそらく気持ちが塞ぎ、日常生活に支障をきたし、簡単には立ち直れないでしょう。積極的に社交はしないまでも、大切だと感じている身近な人たちがいて、社会との間に一定のコンタクトを持っていたい、というのが本音です。

「孤独はいいが、孤立はよくない」というような主張もありますが、これもことば遊びでしょう。人は一人では生きていけるようにはなっていない、という大前提で、いかに繋がるか、関係を維持するか、という観点から物事を組み立てていく方がいいような気がします。お節介でも、気になった人には気軽に声を掛ける社会である方が、何かと健全な気はします。自分でも心掛けて、実践した方がいいな、と思った機会でした。

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