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"月参り"で人生は変化する!参拝の効果を感じられない時に覚えておきたいこと【まとめ】

これまで5回にわたって、『参拝の効果を感じられない時に覚えておきたいこと』と題して、神社参拝において気をつけたいこと、意識すべきことをお伝えして来ました。

月参りや、神社参拝を行っていらっしゃる方には、今の自分自身や、環境に納得がいかず、現状を打破したいという思いを強くお持ちの方も多いかと思います。

また、ご自身やご家族の病が快癒することを願い、切実な思いで参拝される方もいらっしゃることでしょう。

人それぞれ、神社参拝には思いがあるものです。そうした皆さんの願いが、少しでも神様に聞き遂げられること、そして神社という素晴らしい空間との邂逅を多くの方に果たしていただけることが、私の喜びでもあります。

今回は、これまでの5回のコラムを分かりやすく、まとめています。ここに挙げましたことを実践していただければ、今まで以上に神様との距離が近づくはずです。

詳細につきましては、リンク先の各記事をご参照ください。


鳥居

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◉神様は作法を重んじ、礼を尽くし、謙遜の気持ちをもつ者にしか視線を向けない。

◉「畏れ多い」という気持ちを持つ。

◉鳥居をくぐる前に一礼し、「鳥居之祓」を奏上する。

◉必ず鳥居をくぐる(鳥居の脇を通って境内へ入らない)。

◉神社や神様への不遜な態度は、家族運・仕事運・健康運の低下につながる。

◉神様の怒りをかった場合は、右半身に影響が出る。

◉手水舎で手と口を清めない行為も、鳥居をくぐらない行為と同じ行為にあたる。


写真撮影

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◉写真撮影のみを目的として神社へ行かない。

◉参拝前に写真撮影をしない。

◉必ず神様に「撮影させていただく失礼をお許しください」と事前に撮影のお許しを請う。

◉撮影する場合は、本殿内に直接カメラを向けない。

◉社殿全体を撮影する場合は、腰を下ろすなどして視線を下げて撮影するか、正中から外れて左右どちらかに寄って撮影する。

◉鳥居より外の境外から撮影する場合は、この限りではない。

◉接末社を撮影する場合も、その度にそこに祀られている神様にお許しを請う。

◉撮影に夢中になって、他の参拝者の迷惑とならないように気をつける。

三密(身口意)

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◉参拝する際は「無相の三密」を意識する。

◉日頃から、行動・所作の優雅さ、細やかさ、しなやかさ、丁寧さを意識する(身密)。

◉日頃から、不吉な言葉、縁起の悪い言葉、人の悪口、人を愚弄する言葉を口にしない(口密)。

◉自分自身も神様と一体の存在であるから、自分を否定するような言葉も言わない(口密)。

◉神様の存在を、ありありと心で思い描き、深く信じること。それが意の根源となり、身口へと繋がる(意密)。

◉普段から、善きことを心に思い浮かべること(意密)。

◉特に参拝前日から当日の、身口意には十分気をつける。

◉参拝時に、他の参拝者へも礼を尽くし、心配りをする。参拝への行き帰り、そして神社の境内で出会う全ての生きとし生けるもの全てが神様であると思うこと。


願いごと

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◉神様の書いた巧妙な人生のプロットを否定する行為にあたるので、縁切りを願わない。

◉お金に関する願いごとはしない。仕事運の向上か、自分の個性、感性、才能が社会に還元されることを願う。

服装

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◉神様はどこまでも尊く、清浄な存在。人はどこまでも不浄な存在であることを前提とする。

◉心身ともに清らかな状態で参拝することを心がける。

◉参拝時は正装が最善だが、普段着ているカジュアルな服装でも構わない。

◉白い服は良くて、黒い服はダメだという論拠はない。

◉特級と一級の身分にある神職の袍は黒である。

◉古代、黒は疫病避け、魔除けの呪力をもつ色とされた。

◉熊野本宮大社では、黒は全ての色を合わせた尊い色であり、神使の八咫烏の色であり、本宮の大地を象徴する神聖な色であるとされる。

◉ノースリーブやミニスカート、ショートパンツ、サンダルなど肌を露出した服装での参拝はしない。


寅吉が語る神様

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「平田篤胤像」作者不詳 unknown, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

江戸時代後期を代表する(*)国学者、神道家である平田篤胤の代表的著書『仙境異聞』に初めて触れたのは、確か10代か20代の頃。浮世離れした、ファンタジックな世界に魅了されたものです。

これは平田篤胤という学者(医者でもある)が、寅吉という少年に徹底したインタビューを行って書き上げた一級のジャーナリスティックな著作なのです。

その内容は、大体このような感じ。

文化9年(1812年)の4月、寅吉が7歳ころのこと。東叡山(上野寛永寺)の山の下で遊んでいて、黒門前の五条天神あたりを見ていると、奇妙な風体の老翁が小さな壺から丸薬を取り出して売っていました。

商売のために並べていた籠や敷物が次々と、その小さな壺に納められていき、ついには老翁が壺に片足を入れたと思った途端、全身が吸い込まれて壺に納まってしまいました。壺はそのまま大空高く浮き上がると、どこへやら飛び去ってしまったのでした。

この奇妙な様子を見ていた寅吉は、毎日のように同じ場所に通い続けて観察をするのです。

そしてある日、老翁は寅吉に「お前もこの壺に入りなさい。面白いことなどを見せてやろう」と声を掛けます。寅吉は老翁とともに壺に乗って常陸国の南台丈(難台山)へと向かうのです。

老翁の正体は杉山僧正という位の高い(正一位)天狗(山人)であり、ここで寅吉は様々な修行を積み、杉山僧正とともに(*)幽冥界や、外国を旅して見聞を広げます。

15歳になった寅吉は、平田篤胤と出会い、見聞きしてきた天狗の世界のこと、幽冥界のこと、外国や宇宙のことまでを語って聞かせています。これが平田篤胤の書いた『仙境異聞』にまとめられました。

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平田篤胤『仙境異聞』「七生舞の図」(文政2年,1819年), Public domain, via Wikimedia Commons


詳しくは『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平田篤胤著(岩波文庫)をご一読下さい。

この『仙境異聞』の中に、興味深い一文がありますので、ご紹介しましょう。

平田篤胤の門人たちが集まって、金がないことを嘆いていました。それを見た寅吉が、門人たちにこのようなことを話します。

「神というものは全て、人から神と崇められているのであれば、世のため人のためとなることは何事であっても恵んでくださるものだということです。理由があって成就が難しい願いであっても、千日祈って験がないときには一万日祈れば験があります。一万日祈って験がないときには、生涯祈るという気持ちで祈願すれば、たとえよこしまな願いだとしても、いったんは験を与えて下さるそうです」

「正しい祈願であれば、よく信心を徹しさえすれば、叶わないことがないものだといいます。しかしながら人間の願うことには、自分には道理に適った祈りだと思っていても、神から見れば多くはよこしまな願いなのです。そのため後になってから、知らぬ間に相応の罰を受けることにもなります。まして、道理を外れた願いと知ってのことであれば、ついに天道より永久の罰が下されるものです」

『抄訳仙境異聞 天狗にさらわれた少年』平田篤胤(著)、今井秀和(訳・解説)角川ソフィア文庫

寅吉は、全ての山々に神がいらっしゃらない山はなく、山人(天狗)のいない山もないと話します。世間では山人のいることに気付いておらず、そこに住む山人は祈願を聞いてそれを遂げさせるべく、日々忙しく動いているのだそうです。

神社へ祈願をする際、それが「独りよがりの、よこしまな願い」ではないのか、自らに問うことも必要なようです。

寅吉と、平田篤胤については、またの機会にお話しできればと思います。

*国学:蘭学と並び、江戸時代を代表する学問の一つ。外来の学問や宗教(儒教や仏教)による影響を排して、古来から日本に伝わる文化・思想・古道を明らかにしようとする学問。

*幽冥界:死後の霊魂が向かう世界。神々が住まう世界。


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