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"月参り"で人生は変化する!参拝の効果を感じられない時に覚えておきたいこと【服装編】

神社参拝、服装で気をつけるべきことは?

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よく、皆さんから「神社参拝の時には、どんな服装が適切なのでしょうか?」というご質問を受けることがあります。

まず、神社参拝の基本姿勢として、神社にお鎮まりになっている神様は遥かに尊く、清い存在であられますから、畏れ多くも人がその社に足を踏み入れる際は、畏敬と尊崇の念を表しつつ、心身ともに清らかな状態にして、参拝させていただきましょうということが大前提となります。

ですから、清潔感があり、畏まった服装で参拝に行かれるのが最善です。

月参りなど、定期的に同じ神社へ通っていると、早朝に清潔で上品なスーツに身を包んだ方が、優雅且つ美しい所作で参拝をなさっている光景を見かけることがあります。

こうしたお姿を拝見すると、こちらも身が引き締まりますし、清々しい気持ちになります。

また、神様に礼を尽くす、こうした真摯な姿勢がおありだからこそ、清潔で上品なスーツを着れる経済的な豊かさを手に入れることが出来るのでしょうし、そうした豊かさを享受出来たからこそ、より神様の存在を揺るぎなく信じることができ、さらに丁寧な参拝に繋がっていくという連鎖が生まれるのでしょう。

そういった姿勢を持つべきであることを心に留めておきながらも、実際にはより現実的な方法で(カジュアルな服装で)参拝をする方が、神社という空間を日常に据え置くことが出来る、というのが私の考え方です。

機会があれば、そしてタイミングが合えば、より丁重に正装で参拝されることをお勧めします。しかし、普段は日常的に着ていらっしゃる服装で十分です。

まずは、神社という空間にいかに習慣的に身を置くかを優先して考えます。正装ででなければならないと考えることで、神社参拝にプレッシャーや緊張を感じてしまい、結果的に足が遠のいてしまったのなら本末転倒です。

ただ、考慮しなければならないこと、考え過ぎる必要のないことはあります。

白い服でなければならない?黒は縁起が悪い?

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神職の斎服(礼装・衣冠)

神社に参拝をすると神職さんや巫女さんが忙しく境内を行き来し、ご奉仕されている姿をお見かけします。その時にお召しになられているのは真っ白な白衣と、袴。神職さんの普段着であり、仕事着です。

神職さんが身に付けられる、これらの装束には、「特級」「一級」「二級上」「二級」「三・四級」といった等級(身分)毎に定められた色があります。

仕事着である袴は、「特級」=白(白地の紋入り)、「一級」=紫(白地の紋入り)、「二級上」=紫(薄紫の紋入り)、「二級」=紫(紋なし)、「三・四級」=浅黄(紋なし)となります。

特級ですと、白衣の下の袴も白のため、全身白の出立ちとなり、最上の装いということになります。また、神事などで着用する「斎服」は、身分に関わらず純白無紋の*袍(ほう)と袴となります。

白は神聖さの象徴であり、神様が好まれる色でもあります。白狐や白蛇など神に使える高位の動物たちも白ですね。

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高い位にある神使は白い色をしている

こうしたことからも、白は神様に対する上で、最も清浄な色であり、よって参拝時は白い服を着るべきで、黒などもってのほかという考え方もあります。

しかし、特級と一級の神職が例祭や大祭で身につける「正装」の袍は黒なのです(「二級上」は赤色、「三・四級」は*縹色)。

最上位の身分にある神職の「正装」が黒であるのは、上のような論理からすると矛盾が出てしまいます。

ちなみに、「二級上」の正装は「赤」。

神道において「赤」という色が示しているのは「血」と「火」です。

伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱の神の結婚により、十四の島々が生まれる国生み神話は有名ですね。その後さらに、三十五柱の神々が生まれました。

伊邪那美命が最後に生んだのが「火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)」です。迦具土神は火の神であったために、伊邪那美命は女陰を火傷し、それが原因で亡くなってしまいます。

火の神の誕生と引き換えに妻を失った伊邪那岐命は、迦具土神の首を斬ってしまいます。その剣についた血からも「健御雷之男神(タケミカズチノオノカミ)」などの神々が生まれます。

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火は生命力と、呪力をあらわす

「血」と「火」は、「赤」。

「赤」は「生命力」、そして、ある種の「呪力(憤怒)」をも象徴しています。

人の血が赤いのは鉄分を含んだヘモグロビンの作用によるものです。ヘモグロビンは体の各所に酸素を送り込む役割を果たします。

酸素を送り終えたヘモグロビンは黒い色(肌を通して見ると青く見えます)になり、静脈を流れます。反対に動脈を流れる血は酸化し、鮮やかな赤色をしています。実は人間の体内にも、「黒い血」と「赤い血」が流れているという不思議。

このように、「黒」と「赤」は一対の存在でもあるんですね。鮮やかな「赤」は生命力を表し、「黒」は悪しきものを呪力によって鎮める意味合いをもちます。

『古事記』には、崇神天皇の御世に疫病が蔓延し、多くの民が命を失ったときに、宇陀(奈良県)の東西に「赤」と「黒」の楯矛を以て、墨坂神と大坂神を祀ったとあります。

つまり、「赤」と「黒」が示す、「生命力」と「呪力」によって、疫病という災厄を制御したのです。

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八咫烏

また、以前『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』の「カラス編」でもご紹介した通り、熊野本宮大社において「黒」は、全ての色を合わせた尊い色であり、神使の「八咫烏」の色であり、本宮の大地を象徴する神聖な色だとされているのです。

袍(ほう):公家の装束の上衣。現在は神職の正装に用いられる。
縹色(はなだいろ):明度が高い薄青色。


白という色の意味

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注連縄などにつけられる紙垂も白い

上の章で書きましたように、黒が邪悪な色、不浄な色であるというのは先入観によるところが大きいことが分かります。

また、黒い八咫烏が神使であったり、赤と黒が疫病除けに用いられたことを考え合わせると、黒は神々が好まない色であるということもなさそうです。

では、一方の「白」という色はどういう意味を持つのでしょうか。白が神聖な色であるという所以は、白が「乳」を表しているからだといわれています。

「乳」は「血」と同様、命の根源です。

古代では「乳」も「血」も、「ち」と読みました。「母乳は白い血液」であるといわれるように、母乳の成分の中心は血液です。母乳が産生される過程で赤血球が排除され、白い色となりますが、元は血液なのです。

こうして見ていくと、神道で定められている様々な色は、私たち人間の身体が原点になっていることがよく分かります。まさに神々と人間、マクロコスモスとミクロコスモスの関係です。

人には赤い血も、黒い血も流れており、その血が白い乳を生み出す。その乳から育まれた人には、また赤い血と黒い血が流れている。こうした連鎖が人なのです。

ですから、神社参拝時に黒い服を着てはならないということはないはずです。

神社では肌を露出した服装はNG!

ただし、神様はどこまでも尊く、清浄な存在、人はどこまでも不浄な存在であることに違いはありません。

何か自虐的な観点であるかのようにお感じになられる方もいらっしゃるかもしれませんが、こうした視点をもって神社や神様と関わると、神様に無礼な行為を行うことはなくなります。

そのような前提であれば、ノースリーブやショートパンツなど肌を露出した服装は失礼にあたることが必然的に分かりますし、サンダル履きなども神社参拝には適した格好とはいえません。

帽子やサングラスなどを着用している場合は、鳥居の前で脱ぎます(外します)。

もし、上記のような服装をして参拝せざるを得ない場合は、一枚ブラウスやジャケットなどの上着を持参して、鳥居の前で着用しましょう。スカートやボトムスの場合は、参拝直前に着替えることが出来ませんので、旅行先などであれば参拝用に肌を露出しないものを一着参拝用に持参しましょう。

【参拝で控えるべき服装】

◉ノースリーブ(肩が見えるのがNG)
◉タンクトップ(肩が見えるのがNG)
◉ミニスカート(膝・脛・くるぶしが見えるのがNG)
◉ショート・クロップドパンツ(膝・脛・くるぶしが見えるのがNG)
◉ダメージジーンズ(膝・脛・くるぶしが見えるのがNG)
◉サンダル(つま先が見えるのがNG)

私は、山の中腹にある神社に毎月2度参拝に行きますが、参拝というよりほとんど登山に近く、どうしてもトレッキングのような格好になってしまいます。

車で中腹の社まで行くことも可能ですが、汗をかいて足を使って登ることに意義があると思っています。ですから、スーツなどの正装で参拝することは理に叶っていません。

正装で参拝することが、神様に対して最も敬意を表すに足ることではありますが、よほど失礼な服装でない限りは、「参拝をしたい」というその純粋な気持ちを優先させること、それを生活に根付かせることの方が先決です。

ただ、最低限のマナーとルールを守った上で、適切な服装で参拝したいところです。

参考文献
『崇神天皇と墨坂』(外部サイト


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