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『モモ』について

ミヒャエル・エンデ作の「モモ」を始めて読んだのは、たしか小学校4年生のとき。当時の私が一番好きな場所が、図書室だった。

小学4年生のときに、いじめに遭い、死にたくなるほどつらくはなかったものの、クラスに居場所がなかった私は、時間があれば図書室に行って本を読み漁っていた。当時の私にとって図書室は、教室とは全くの別世界のようで、図書室にいるときは、他の場所とは違う時間の流れ方をしているように感じていた。

ある日、図書室にいるお姉さん(司書みたいな人)が、私に一冊の分厚い本を勧めてくれた。「まだちょっと早いかもしれないけど」といって渡してくれたのが、「モモ」だった。

初めの数ページを読んでみると、なんだか内容が頭に入ってこず、パッとしない。だが、その数ページを乗り越え、読み進めていくと、私はすっかりモモの世界に入りこんでしまった。

よほど印象に残ったのか、確か4年生の図工の時間に、モモの時間の花をテーマに絵を描いた。モモは、私にとっては神秘的な存在。何かを学んだり、気づきを得るというよりも、ただそこにいてくれるんだ、と感じた。なんとなく、自分の心のどこかにモモがいるような、あの、じんわりと、その場にいて聴いてくれるような存在を感じた。

それから、十年以上経って、コーチングというものを知った。その時に、ふと思い出したのが「モモ」だった。もう一度読み返してみると、なんだか懐かしい感じがして、モモの不思議な力にまた魅了された。

小説や物語を読むときは、その世界に没頭して、色んな感覚でその瞬間を味わうように読んでいたので、そこから何かを分析したり、学びを得ようとすることはほぼない。

小学生の時ほどの没入感は今はなくなってしまったけれど、やっぱりモモを読み返すと、今でも圧倒される空間が広がっていると感じる。


何が言いたいかよく分からない文になったけれど、モモを読むと不思議な力を感じるということは今も変わらないし、それがどういうものかを事細かに分析はしたくない。

ちなみに、時間の花は鮮やかなピンク色で描いた。自分が感じたもの、想像したものを、絵に描き、色付けていく作業は思っていた以上に大事なことだったように感じる。

また絵を描いてみようかな。



最後までお読みいただきありがとうございます☺