【マリ真理学エッセイ】父は外出できるかな?
この世はなんでも陰と陽が半々だ。
コロナにしても、怖いと思う人思わない人、ワクチンを接種したい人したくない人、なんの縛りも同調圧力もなければきっと半々になるのではないかと私は思っている。これは宇宙の摂理だからだ。
父が寝たきりで施設に入っているのだが、もちろんこの2年以上直接面会もできないし、今もモニターでの謁見だけが許されている状態だ。まだ頭はハッキリしている、でももういつ逝ってもおかしくない状態だ。
で、どうしても父を彼の実家でもある私の家に外出させたいのだけれど、施設側が家族がワクチン接種をしていないので外出させたくないと電話をかけてきた。その時私はちょっと思い切って言葉が出るままに自分の考えを言ってみた。
同意見の妹は自分の考えを空気を読まずに言える人だが、私は肝心なところでのらりくらりと逃げ回る癖がある。
社会が自分が大事にしていることと違うことを推奨していると思うと、やはり窮屈だと思うし、嫌悪感を持ったり、批判ばかりしたり、私のように逃げ回ったりという反応をしてしまうのではないだろうか。
主張ばかりしたら外出が滞ってしまうかもしれない、どう言ったら一番効果的だろうとか、いろんな思考が働くと脳みそも口も重くなってしまう。でも、今回私は言いたいことの7割くらいは言えた。この電話は、私がちゃんと言いたいことを言えるかどうかのお試しだったかなあ、と思っている。
うちでは父の一時帰宅に備えて、テラスを作ったり、スロープを作ったり、庭に道を作ったりしている。自分の思いをちゃんと表現した上で、外出がどうなるかは神のみぞ知る案件なのだろう。
もといこの世は、
陰陽半々、違う意見が半々。
同調圧力がどうとか、ワクチンが良いとか悪いとか言うよりは、
「自分は嫌です!ムリです!^^」
とさわやかに言える自分でありたい。
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