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罪悪感は愛情の波をはばむ障壁

この記事は、マリ真理学本編に組み入れようと思って書きましたが、まだどこに入れるかが決まっていないので、こちらで公開してみようと思います。
 
どうぞよろしくお願いします。

罪悪感は愛情の波をはばむ障壁

 罪悪感とか自責の念、そして恥の心というのは、遠慮や反省を美徳としている日本人にとっては持ちがちな心情かもしれません。
 調和を重んじる日本人は、相手が自分のせいで嫌な思いをしたと思ったら、あまりにも自分を責めてしまい、嫌われていると勝手に思って、もう普通には付き合えないと思ってしまいます。そして察する文化を持ち、自己肯定感も比較的低い日本人はなかなか相手の本音を直接聞けません。相手がどう思っているのか真相はわからないのに、つきあいがぎこちなくなってしまったり、逆に「どうせ自分なんか」という思いから「相手は自分を好きじゃないはずすなわち〝敵〟」と思い込み、そこはかとなく相手と敵対する姿勢になることもあります。
 そもそも罪悪感とは、「相手に何かをしてあげたい」「相手の幸せを思っていたのにできなかった」という〝愛情の裏返し〟です。特に家族内で持ち合う罪悪感は、あまりにもその愛情が強すぎて、相手を不幸せにしてしまった後悔を直視できず、場合によっては罪悪感があることすら感知できなかったりします。それくらい不本意なことだからです。
 それはパートナーシップや親子関係によく見られる現象であり人生における苦しみの元のひとつとなってます。「自分がこうだから」「自分があの時こうしたから」もしくは「しなかったから」という想い。おそらくそれは「相手がこうしてくれなかったから」よりも心理的に暗い影響を及ぼしています。それ程までに「罪悪感」というものは、複雑な行程を経て人間関係を阻みます。それを生み出したのは「紛れもない真実の愛」なのにです。
 愛が強ければ強いほど、小さな罪悪感ですら大きく深刻になっていきます。そしてそれは年月をへてさらに頑強になっていき、当たり前の様に自分の中に陣取っていきます。それを思うたび「自分が悪い」「相手が悪い」「状況的に仕方がなかったんだ」という思いを持ちながら生きていくのです。
 でも、大抵の場合〝罪悪感〟というものは相手ありきなのに、相手にどう思っているのかを直接聞く人はいませんし、家族内だとつっぱり合っていて聞いてみようなんて思いつきもしません。
 〝罪悪感〟があると人間関係はどうなるかと言いますと、素直に付き合えなくなります。素直にというのは、「相手を大好きだよ」「理解しあいたいよ」「一緒に何かしたいよ」という様な気持ちを表現実行できない、つまり心地良い関係を紡げないということです。
 この罪悪感はほんとうに人間関係の愛の障壁、悪い意味での堤防、愛の循環を阻むコンクリートの壁みたいなものなのです。こちらからの想いもそこでストップ、あちらからのも入ってこさせることができないのです。こちらからの愛は「どうせ受け取ってもらえない」、相手からのは「自分は受け取る権利がない」と思い込みます。

 この罪悪感ってものすごい怪物みたいなものです。もちろん防衛の一種ですが、こんな怪物みたいなものを、たいていの人は飼いながら生きています。

 じゃあ、〝この罪悪感をどうしたらいいか〟ですが、まず基本、見つけます。「仕方がなかった」という想いは置いておいてただ見つけます。そしてその後、もしその相手が話のできるポジションにいる相手でしたら、思い切って話してみましょう。話す時に、その時の状況から持った感情、大事にしていたニーズなどを話してみるといいです。相手も何か感じていることがあれば話してくれるかもしれません。飲み込んでしまうかもしれませんが、あなたの素直な気持ちを知るだけで必ず相手の心の中に何らかの変化が起きます。
 かなり気まずい、どうしても言えないということでしたら、ただ、自分の中のその時の感情を思い起こし、自己共感してみます。最終地点は、自分は相手を愛していた、というところに落ち着けばいいのですが、そのためには、自己肯定感をある程度上げておかなければ罪悪感の解消までには至らないと思います。それほどまでに罪悪感は強力だということを認めてほしいと思います。
 なので自分のありのままをそのまま受け入れる訓練が必要です。過去の自分に共感するためには、今の自分にも共感できないとなかなか難しいので、普段の自分に共感する癖をつけてください。
 自己共感のためと同時にその罪悪感自体をどうにかするための一つの方法として、第三者にただ話を聞いてもらって、自分を客観視することもかなり有効です。うまくいくと本当の自分の愛に出逢えるかもしれません。そのあと、やっと相手にも言える心持ちになるかもしれないので、試してみることをお勧めします。

 また、相手が何らかの事情で話ができない場合(もうこの世にいない、障害があって意思疎通ができない等)にも、第三者にとことんその後悔、自責の念、嘆きを聞いてもらうことが凄い効果を生む場合があります。その場合、私がお勧めの聞いてもらい方は、しっかり時間をとって、話をさえぎらない様にしてもらい、とことん自責や嘆きを思いっきり聞いてもらうことです。ただ、話をする時は、ある程度まとまりをもったストーリーであることが効果があると思います。それを前もってそのお相手にしっかりお願いして了承を得てください。
 
 ここでわたしがどうしても拭えなかった大きな罪悪感の障壁を崩した経験を一つお話しします。それは息子に対する大きな罪悪感でした。
 かいつまんで話すとわたしは、彼を1歳過ぎた頃から保育園に入れたのですが、嫌がっていて、しかもその保育園が社会的にも問題があると思われる保育園だったのに転園先が見つからないからと言い訳し、二年間も行かせ続け、そのせいで彼は脳みその神経がおかしくなり自閉症になってしまったと思い込んでいるのです。
 その話をNVCの仲間や超身近な人たちに聞いてもらってもなぜか突き抜けられない。あまり親しくない人たちに話すと今度は「罪悪感を持つべきではない」「保育園に入れたせいじゃない」と言われて、励ましてくれているのですが、私としては嘆ききれなく、いつも壁にぶち当たっていました。
 ある時、自分が開催しているNVCの勉強会に一人の女性が現れました。わたしはこの人かもしれないと思い、その方に「私の話を最後まで何も言わずに聞いて欲しい」とお願いしました。その日、わたしは「絶対にさえぎられない」「アドバイスもされない」という安心感の中、思いっきり話すことができました。そして自分でも気がつかなかった〝その日々を過ごした息子がただただ可哀想だった〟という想いと、自分の中の〝紛うことない愛〟に出逢えたのです。その時、嗚咽と涙があふれ自分の封印していた愛に出逢えたのでした。”罪悪感”という障壁が崩れた瞬間、まさに愛が堰を切ったように流れ出した瞬間でした。
 絶対一人ではたどり着けなかった境地。そこには、勉強会のメンバーの男性がもう一人いてその女性同様会ったことのない人でしたが、おそらくあまり親しくない〝外側の人〟に聞いてもらうことで、保育園という外側の人によって引き起こされた感情が〝カタルシス〟を迎えることができたのだと思います。10年近く苦しんだ人生における大案件が見事に落着した出来事でした。この様に、時に人に助けてもらうことが鍵になる場合があります。

 罪悪感という愛の障壁を突き破ることは、愛情が循環する人間関係を復活させることです。是非、愛が堰を切っって流れ出る体験をしてください。

動画も撮りました。もし良かったら見てみてください。
https://youtu.be/YRPyj9idD5o
 
 
 

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