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今地球を支配している金融グローバルスタンダードは本当に”悪”なのか?

ココロもカラダもまるっとあ〜かるく♪
マリ真理学のマリエ・セレスティーヌ・サイトウっす。

 先日選挙ありましたねー。まあ、結果はいつもと同じ。選挙期間中はほんといろんな新政党や個性的な候補者が鎬を削り、見てるだけでお祭り気分でしたが、そう結果はいつもと同じ。もう笑っちゃうしかない。でもこれ、別に日本だけに限った現象ではなく、なんだかんだとグローバルスタンダートと呼ばれているこの世の金融システムを牛耳っている〝ロ(くちじゃないよ、カタカナ)〟のつくあの家族やあのお宅のみなさんの熱心なお仕事のおかげで、どの国も似たり寄ったりな選挙結果な模様。

選挙は単なる夢を見させるお祭り

 この世は完全に彼らに支配されているので、選挙は、お祭りの一環。みんなに夢を見させるためのめでたいイベント?(笑)ひっくり返したい人が過半数になろうとも、選挙結果は変わらない。なぜなら、そんな簡単に彼らはその席を譲らないから。
    大雑把に言うと、フランス革命が勃発した1789年以降、封建時代が終わり、彼らの登壇となるので、それから、金融支配時代となって220年余り。中世以降の封建制度がだいたい11世紀くらいから始まったとすれば、600年以上続いたわけだから、まだ今の時代は続くのかもしれない。革命で人権なるものが意識され、人民に主権が来たと思ったら、実はめっちゃお金に縛られるシステムだったっていう、ただ歴史の流れの中にいる。それだけ。

そんな悪のシステムの中で生きる私はなぜ幸せなのか

 しかし、わたしはハタ!と思った。そういう彼らに支配されているこの世に住んでいる私はそんなに不幸か?いや、もちろん、もっといい世の中とかあるのかもしれないが、私はとても幸せだ。自由も感じるし、やる気を出せばなんでもできる。

    
その証拠に、私以上にキラキラして、月商◯桁とか言っている人もたくさんいるし、自己破産しても蘇っている人も気に入らない職場を辞めてやった!と叫んでいる人も毒親の本とか出してイキイキしている人も。

 私はやる気がないのでお金はないけど、それすら自分の生きたい生き方だし、必要ならばたいていのことは引き寄せれている。
 あれ?その闇のとか陰謀を企ているとか言われている人たちの作った世界ってなんか結構良くない?その人たちってなの?

彼らが創る世界

 確かに、彼らは陰謀も企てるし自分達のスタンダード(基準)に歯向かうなら、人だろうが国だろうが片っ端から乱暴に潰している。その振る舞いは、まさに極悪非道で誰も逆らえない。それを悪じゃなければなんと呼ぶのか。
 でも、彼らのニーズって何だろう。

もしかしてそれは

この私たち
 
依存的で” 
あまり 頭の良くない” 
感情的な” 
民衆を 
平和的に” 暮らさせる事

だったりしたらどうだろう。

彼らの庇護がなければ、我々は何も出来ない赤子の様なものなのではないか。

 確かに、民衆と言うのは基本愚かだ。どう愚かかと言うと、多くの人が他人軸で怠け者だ。被害者意識の強いなんにでも従う人と人の批判ばかりして反抗的な人しかいない気がする。両者共に共通しているのは依存的な人々という事だ。

 それは、他の言い方をすれば、保護者が必要な幼い人たち。スポーツを見れば興奮し、どんな不条理な事もニュースが言えば信じ込む。目の前に見せられた事も、テレビでそう言わなければなかったことにできる、自分の目や耳、なんなら触った事すら信じることができない。

 そういう普通の民衆を彼らはアリンコの様に見ているだろう。うちには今季節のせいか小さなヒメアリがたくさん歩いている。私は容赦なく塵の様に潰す。「ああ、彼らは我々をこの様に見ているのかもしれない」と思う。
 このヒメアリ程度に見ている我々に、彼らは夢を見させ、娯楽と、ある程度の自由も与え、時に成功させるなんて、なんていい人なんだろう。人によっては、努力次第で、尊敬されたり、充足感を味わったり、楽しく生きていく。つまり、一人一人の前には何かをする〝余白〟を用意してくれているのだ。
私と言えば、ヒメアリに砂糖の一粒も上げる気はなく潰す。どっちが悪?

 ハタと考える。これはなかなかの仕事っぷりだし、
ちょっと極端な言い方だがその所業には、
♡”すら感じられるぞ。

 もしかしたらこのシステムがなければ、我々民衆はとんでもない世界を創っているかもしれない。

今の人類の原動力は恐怖 

 私たちは基本いつも不安と恐れにさいなまれている。そして、私が思うに彼らもそうだ。彼らは私たちが私たちの課題を克服するためのネタであり、彼らにとっても私たちは彼らの課題を克服するためのネタだ。つまり、学びのパートナーなのだ。
 そして彼らも決して完璧ではないので、地球が存続するのに不完全なシステムしか作ることができない。そして、大きい会社になればなるほど末端までコンセプトは伝わらず、あちこちでバグが起きる様に、私たちの世界もバグだらけだ。
 彼らは私たちよりもものがわかっている人たちだとは思う。しかし、その間には、たくさんの人がいて、その人たちだっていろいろだ。そうなると、うまくいかない部分は力ずくでと言うことになり、世界各地で悲惨なことばかり起きる。

いっさい批判をしないこと

   わたしは、それを批判してたらまた同じ穴の狢だと思う。なぜなら、批判は自分の不幸を人のせいにしている事だからだ。批判は時に自分を正当化するためにも使われる。それは自己防衛の一つである。そして、それらはさらなる悲惨な現実を創造する。それらはすべて予祝ならぬ〝予呪〟となる。

 私は思う。まずは自分が成長する事。成長とは、自分の恐れや恥や罪悪感に意識的になり、その根本を解決していく事。そして依存的でなくなり真の自立をしていく事だ。
 成長しているかどうかをチェックするのは簡単だ。批判をしない自分でいるかどうかだ。批判に意識的になる。ムカつくとかイラっとするモヤッとするがその合図である。その反応が出たら、その原因を探る(そのためにはマリ真理学を熟学しなければならない)。
 何かを批判している自分を見つけたら、自分はまだまだ子どもで、こんなんじゃ世界は変わらないと思って間違いない。

 わたしは、彼らに従え、あきらめろ、感謝すれとは言っていない。むしろ、自分で決めて青空の様な突き抜けたさわやかさで、イヤなことはしませ〜ん♪と拒否推奨だ。そこにエビデンスも何もいらない。自分が自分のことを決める。それだけでいいのだ。

 そして、真我では彼らもそれを求めていると思う。それは深い真我での望みだ。真我はこっちもあっちもつながっている。

 「こうこうこうだから私は正しい、あなたは間違っている」じゃなくて、「私はこっちの方がいいな、それはやだな」でいい。そしてその理由と根拠はだけでいいのだ。自分への愛、家族への愛、人類へのそして地球への愛。それ以上の理由はない。

選挙を軽んじよう

 なので、選挙という依存祭りにはおつきあい程度以上のエネルギーを使ってはいけない。もちろん、それが魂のミッションで立候補したり応援したりしたい人はどんどんやるべき。でも基本は、「何かをしてもらうために誰かを選ぶ」と言う意識を一回捨てること。依存の概念をもってしても何も変わらないしパワーを吸い取られるだけだ。
 なので無視くらいがいい。「ああお祭りね」みたいな感じだ。
 それより、やなことはやだとサラッと言う。周りの人と何でも話し合い、自分と自分の周りのことは自分と関係者で変えるのを基準とする。そうすると、グローバルスタンダードに対抗した自分スタンダードとなる。それをみんなでやれば「新グローバルスタンダード」の誕生だ。

 でも、地方の選挙や身近なものを大切にしていくことは大事だ。要は選挙でも何でも「自分を大事にすること」「自分が楽しむ」が大事だ。結果は当面変わらないし、望ましくないことが現実化するかもしれない。それでも、人類が進化していくためには日々以下のことが必須なのだ。

自分と自分の環境に
興味を持って
自分に偽りなく
周りの人と課題を共有し
行動する。

それだけでいい。
選挙に行っても行かなくても、
投票率もいつも変わらないのだから。

マトリックスは結局悪だったか?

 本当にそのと言われている人たちの作ったシステムの中に私たちはいる。呼吸している空気ですら、そのシステムに組み込まれている。一瞬たりとも逃れることはできない。もう地上には未開の地もない。お金がないと生きていけないし、歯向かうとつぶされる。
 まさに映画マトリックスの機械だ。そして、もしかするとその彼らでさえ、そのシステムの中から逃れられない同じ穴の狢かもしれないのだ。つまり、もう実態はなくシステムが一人歩きしているという可能性もある。映画のマトリックスは、人間が、人間のくせに非人道的なことを機械にして、機械の堪忍袋の尾が切れ人間を完全支配した(一部の人は地の底に逃げたが)。そしてシステム内でバグも暴走してた。制御不能だ。
 そして、地球を黒い雲で覆ったのは人間の方。愚かすぎる。
 マトリックスは3までしか観ていないが、機械は悪だったか?わかったのは人間の愚かさがあそこまで地球を破壊したと言う、自業自得的なことだ。

 成長とは自分を知ることによって自己防衛反応から解放され、人々と繋がり、全てのもの物事と調和することだ。

 映画マトリックスでも、機械と女占い師がまるで父性と母性のように役割分担していた。あれは陽と陰である。そして今の社会で言えば、支配者が機械であり「社会」、そして女占い師に当たるのは、この地球や宇宙「自然」なのかもしれない。
 私たちは無意識のうちに、そこに父親と母親を見て一体化を望んでいるのである。父に認められ、母に受け入れられたい。だから反抗し依存する。

そんなことに思い至った今回の選挙であった。

次の選挙もプロレス観戦の如く楽しもうと思う。

さあ、ガーシー東谷はどうなっていくのだろう?
そして、あの要人の不可解な死は?

地球は今、歴史的に見てすごく面白い岐路に立っているのかもしれない。

こんなところにいれてわたしは幸せで仕方がない。

マリ真理学をよろしく🙏

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