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THE MARCH


やっと気持ちが落ち着いてきたので、筆をとることにします。


2022年4月10日、わたしは
8年半のcolor-codeとしての活動に終止符を打ちました。

当日のライブは、自分でもびっくりするくらい冷静で、俯瞰的に居ることができました。
歌うことで、今のわたしを伝える、ということをいちばんにやりたかった。

なぜなら、それは、わたしがcolor-codeで学んだ一番大切なものだったからです。


はじまり

color-codeは、最初はオーディションで受かった名もなき3人の女子大生でした。
海外の著名なファッションプロデューサーと日本の大手老舗レコード会社が手を組んで、3000人から選んだ3人。これは当時、新聞にも載り、それなりに話題になりました。その時に落ちたメンバーで、そのあと別のグループで格段に売れた人も、話題になった人もいました。デビューから6年目までは、以前BARKSさんで連続コラムを書きましたので、読んでみてもらえたらと思います。


なので、今日は自分の話をします。

わたし

わたしは、「歌手になりたい」と思ったことは一度もありませんでした。
宝塚が好きで、月組のエリザベートに心を奪われて、宝塚受験したけど落ちて、
だけど帝国劇場ってところだと、宝塚に入らなくてもエリザベートができるんだ!
そう知ってから、

「エリザベートをやりたい」

が、わたしの夢でした。今でも夢です。

歌手を目指してたわけではなく、ミーハーというよりはオタク体質のわたしは、洋楽も知らず、当時の有名プロデューサーのことも知らず、ガールズグループでデビューすることにも全く興味はありませんでしたが、母が勝手に応募したオーディションを勝ち進み、あれよあれよと言う間にデビューしました。

眩しいフラッシュをバシャバシャと向けられて、明日の新聞用の写真を撮られているとき、
これがわたしの運命なんだな、と思いました。
よし、流されるなら、全力で泳いでみよう、と。

そこから、歌手になりました。
職業は?と聞かれて、初めて、歌手です、と言ったとき、妙な気分でした。
わたしが、歌手?
歌をまともに練習したことのないわたしが?

歌手って、名乗れば、歌手なんだな。

そう思って、職業:歌手 color-codeのMARISAとして生き始めました。

ですが、最初の数年は、今でも思い出すと苦しくなるくらい、みっともない歌手でした。
わたしの歌は、本当に聞くに堪えないくらい下手くそで、音程もリズムもめちゃくちゃで、数回歌えばすぐに喉がやられて声が出なくなる。メンバー二人はその点しっかりとしていました。わたしが足を引っ張っているのは誰の目にも明らかで、わたし自身もそれをわかっていながら、「わたしなんていない方がいい、歌手になりたかったわけじゃないもん」といじけていました。手に負えません。最悪です。

心で伝える、とか、気持ちが伝わる歌、とか、周りの歌い手が言うたびに、斜に構えて「出たよ、もう良いよそういうの」とスレて偉そうにしていました。当時は、その意味が全くわかりませんでした。歌に心を救われたとか、大袈裟なんだよ、と。

だから、当時の私の歌には、抑揚がありません。ほんとに機械のようです。オートチューンがかけやすい声質な上、抑揚がないのは、わたしがボカロばかり聴いていたから、、と言うわけでもないのです。

わたしの口が発する歌には、意味がありませんでした。もともと自分でかいた言葉でないし、解釈もしっかりしてたわけではなく、衣装やコンセプト同様、与えられたものをこなすだけ。意味を理解して歌うとか、歌詞を考えながら、自分に置き換えて伝えたり、想像したり、そういった努力をしていなかった。
そんなもん、そりゃそうです。何も伝わるわけはないんです。
だから、日本でライブしても、お客さんはつきませんでした。家族、友達に、必死に声をかけて、数年ぶりに連絡する友達に宣伝だけして白い目で見られたりもしました。それでも、箱を埋めなきゃと言う思いで、とにかく周りに声をかけた。いざステージに出ると、そこには知った顔がズラリと並んでいました。あたたかい、優しい顔でした。

変化


初めて意味を持つ歌詞として歌ったのは、「Over the dreams」でした。


約束なんてしなくたって
また巡り逢えると信じて
今は辛いそんな日々に
思い出す その笑顔
何度もcry でも何度もsmile
もっと大きな自分で
いつの日かまた君に出逢うため
Over the dream.


いろんな人への想いを込めて何度も歌いました。
いまはわたしこんなんだけどね、いつか必ず、もっと大きくなって会おう。逢える。
そう伝えたい人が、たくさんいました。
自分の口から、その人へ伝えたい。空を駆けて、届いてくれ、頼む!
そういう思いで歌った時、わたしは自分の心が動く音を聞いたようでした。


あぁ、
みんなが言ってたのは、これか。


わたしは、数年間、なにをやってたわけ?



そこから、歌というものに本気で向き合うようになりました。color-codeは歌手、アーティストだから、歌手は、歌をまず頑張らなくて何になる?その大事なところをすっ飛ばして、売れるため、人気になるためとアレコレやりました。モデル、WEBCM、配信、YouTube。全て、やってよかったとは思っているけど、なによりも大事なものをすっ飛ばしては、color-codeは歌手になれなかったのです。

歌に向き合いはじめてから、わたしたちの歌で泣いてくれる人が現れて、ライブには友達でも家族でもない、名も知らぬ人、つまり純粋なファンの方が、ひとり、ふたりと増えていきました。取り置きリストを見て、知らない名前が居ると誰だろ?と騒ぎ、いや、そらそうよ、知らんくて当たり前よ!と笑ってまた一騒ぎしていました。恥ずかしいも悔しいも、今思い返すと、すべてがキラキラしていました。


いまは、


そこから、離れました。
ほんとうに色々あった。

一度本気で、夢に向き合って取り組んでみたい。何かを気にしながらじゃなく、自分の体力と時間の全てを費やして、頑張ってみたい。後悔したくない。

それが理由です。

わたしは兄妹がおりません。なので、ほんとうの兄弟の感覚はわかりませんが、color-codeを、兄弟のようだとおもっていました。

自分で選んだわけではなく、共にいることになった仲間。そこに生まれ、共に育ち、仲良しこよしや好き嫌いではない信頼関係で、付かず離れず、でも、離れることができない。
そういう感覚です。

わたしはなんだかんだで末っ子で、わがままで、泣き虫で、自分勝手で、姉2人の手を焼いたと思うけど。
あんな、奇跡みたいな8年半を共に過ごして、はいさようなら、とはできない。

「ねぇちゃんごめん、
ちょっと、行ってくるわ!」


そんな感じ。

心にぽっかり空いた穴はありますが
前に進みます。
大事にしてきた時間が、人が、愛が、私の背を押します。



Don't stop me now.
Right up your fire.
自分で選んだもの
ここには無い未来だもの
間違いなんかない 
そう 夢は夢じゃない
だから歩みを止めるな
進め 
Marching for the freedom.


MARISA

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